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仕事納め。

今日で今年の仕事納め。 一年間、暇なときもあったが佳く働いた。 今年は次男誕生から始まり、試験もあったりとなんだか色々と重なり忙しい日々であった。 最後の最後にやってきた案件も今年中に纏まりそうだから、後は運を天に任せるのみ。 本当に縁があれば叶うだろう。 それに今年は直接的な関わりはなく知り合いの知り合い位の関係の人が立て続けに亡くなる年でもあった。 本当に色々と考えさせられ、ギュッと凝縮したような密度の濃い年になったと思う。 結婚して8年目でもあったし、祖母の白寿祝もあったり、来年には父方の祖父母の米寿祝も控えている。 色々振り返って見ると何年かかけて耕してきた大地に色々な種をやっと巻き終わった。 後は運を天に任せてどんな花や作物が育つか見守るだけ。 そんな年になったと思う。 皆さんはどんな年になったでしょうか? 後は大掃除をして、新年を迎えることとしよう。

逝く

逝くは往く。 古い友人が亡くなったとの訃報が入る。 闘病して二年。 まだ四十代の若さというのに。 幼子二人残しての寿命としても早すぎる。 死因やどんな闘病生活をしてきたかは関係なく、彼女がどんな生き方をして生涯を閉じたのか? 幸せであって、どうか心残りなく逝って欲しい。 色々とありがとう。 冥福を祈ります。 作って貰ったアレ。形見になっちゃったね。 どうかあの世でもお元気で。 それにしてもはやすぎるわ。

水の流れ(三味線演奏)/勝新太郎

水の流れ(三味線演奏)/勝新太郎

十二月・一月の予定

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十二 月・来年一月の 予定についてお知らせします。 今年も残すところあとひと月となりあわただしい日々が続いております。 自分もそうですが こういう時はなにかと色々なことが重なり、ついつい自分を見失いがちとなります。 知らない間に身体にブレーキをかけ、疲れが抜けずなんとなく閉塞感に苛まれる。 そして色々なことが面倒臭くなってくる。 意志を立て乗り切ろうとするも気力が湧かない。そのままずるずると年を迎えるのは嫌ですね。 本来、色々なことが重なり忙しくなってくるというのは自分の底上げ。新境地の迎入れ。 新しい型やエネルギーを呼び込み、皆と感応し一体感からなにか生まれる。 そんな時です。 生き物は絶えず更新して変わり続けている。 それを身体の中に見つける事を稽古として、この一年を締めたいと思います。 今月はここ一年の復習編と各稽古会の応用編をいたします。 自己流になっていないか各チェックしてみてください。 ここ一年間で出された課題をまとめてみました。 ・一人で集注するときと他者を交えて集注するときの違い。 ・意志(精神)と感覚(身体)の関係とそれらから発する意志的集注と自然集注 ・外形動作と内動性の一致。 ・子供の成長と欲求の在り方について ・筋緊張と脱力、力とは?アクセルとブレーキの関係性について ・身体の中のグラデーション。 ・西洋的身体観と日本人的身体観の相違。 といったところでしょうか?盛りだくさんでしたね。 あとひと月 これらがもっと深まり、身につくような年終わりにしたいと思います。 興味のある方はご参加ください。 稽古会継続登録者の方はキャンセルの場合だけご一報下されば幸いです。 初心者の方は要予約となりますので右記メールフォームにて、 1、お名前 2、連絡先 3、参加動機 を添えてご送信下さい。 最新版のスケジュールは 予約・稽古日程 欄を。 稽古内容については 身体塾稽古会 欄をご参考ください。 日程が変更される場合がありますので、こまめにご確認ください。

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この間は二月ぶり?位の書の稽古。 今回のお題も相変わらず縦線、横線、はね、払い、まる、点を打つの基本動作。 それそれを一から五の型を用いて書くというもの。 型を用いた外形動作は基本、動線が決まっており筆を用いて線を描くというものなので、 それに乗っ取って書けばいいという簡単なものだ。 しかし、実際やってみればわかるのだが「言うは易し、行うは難し」なのである。 まず余計な動線を生まない為に、腕や足を封じた動作は動けない。 型の要求する動きとはこうも自らの身体を封じるものか、と格闘することになる。 無理に動こうともがけばもがくほど首がつまり強張り、上気するだけとなってしまう。 余計な気張りを取り除き、洗練された動きを求める為の”型”が要求するものとは全く別物となり果ててしまう。型を取ってみればわかるが全く動けないのである。 綺麗な字を描ければよい、額に入るような作品を描きたいという以前にまず、自分の身体が思うように動かない、という現実と直面することとなる。 意志と体の疎通のなさに愕然とするのだ。 それが通い合った瞬間に自分からかけ離れた、出会ったことがない新しい線が生み出される。書いたことのない”私の字”に出会える。 それに立ち会えるのがこの稽古の面白いところだ。 気が付けば飽きもせずにここ一年ずっと、この縦線、横線、はね、払い、丸に点を書いてきたことになる。それは毎回書き方を変えてきたからだが、 今回はどうすればこの型の要求する外形動作を、内なる動きで合わせていけれるか? 言い換えるなら身体の内側をどう動かせば、型の要求する動きとなるか? を体験してもらい、自分の内動の基本形を知ってもらい、それを用いて縦線、横線、はね、払い、丸、点を書いてもらってから漢字を書いてもらった。 稽古中に身体が変わったと伝えてこられた方もいたので、そのあと何人かに体験してもらったらほとんどの人がこんな体験は初めてだと仰っていた。 年末まではこの稽古を続けて、来年はこれを基本稽古として二時間、二時間の二コマに分けて特別枠にしてもいいかもしれない。 なんとなくやってみようで始めた「書」がここまでのものになるとは全く思わなかった。 積み重ねることはほんとに大事だ。 ここまでこれたことに、ひとまずは「丸」。

身体はみな違う

電話での相談や出先などで身体の話になると決まってこういった質問が飛び出す。 ~~が悪いのでどうしたらいいのか?といった質問である。 そういった方には個別指導の時に教えます、と答えるようにしていると何故かがっかりされる人がいる。 これがお弟子さんや整体指導を受けてる人達、身体を見たことある方にはこちらの言ってることがわかるし、ある程度できるから別に問題ないし質問の内容も深いから伝えていて楽しいのだが、初心者や整体を知らない人にはとても答えにくい。 自分で治そうとすることは素晴らしいので質問には答えたいのだが、身体はみな違うのだ。 同じ腰痛や病名が付いた症状でも成り立ちが全く違うので、この人にはこういったやり方がよいが、この人には違ったやり方が合うという事なので、何度かじっくり身体を見てみないとこの人に合った今のやり方は見つからないのである。 それに今はこのやり方でよいが二週後にはまた変わる、 という事もあるので時間も含めて観察しないと今のこの人にピッタリ合った処置というのは伝えにくい。 一律に、触ってもみないでこれさえやっておけば大丈夫なんていい加減なことは言えないのである。 その人の身体の癖が分かっていればある程度は伝えれるが、 そんな万能な方法はあっても個々に違うし、身体は見る度に変わるからその都度その都度新しいやり方を即興的に生み出して分かったことを伝えるのが整体指導だと思うのだ。 各種治療やマッサージも身体を触って感じたことを伝えるのでこれらもまた同じ。 病人というのは一刻も早く症状を取り去りたいので、何でもかんでもやりたがる人もいるが、どれがその人の”今”にピッタリかはわからない。というかそれが分かるようになるのが病気療養中のいいところなんだが、皆そんな風には考えられない。 言葉で聞いて頭は納得しても実感が伴わない。 色々ためしすぎてこじれていく人は結構います。 治療師を絶対的にしてお任せした結果、何も変わらない人もたくさん見た。 業界用語では山手線患者やグラスホッパーともやや嘲笑的に呼ばれているときさえあるが信頼関係が結ばれていない時にそうなるのだろう。 たぶん、皆同じ身体だという思い込みが余計に思考をもこじらせている場合もあるし、 全部治療師や医者まかせという患者側の依存的な態度や、あるいは治療

八年目

11月8日は結婚記念日だ。 一緒になってからもう8年経った訳だ。交際期間を入れると十年以上共にした事になる。 色々あったがその間に子どもを二人授かり、二人の関係性も少しづつ変わった。 男と女から夫と妻になり、今じゃパパ・ママだ。好き同士から生活を共にする伴侶となり、今じゃ子育てと生活を共に回す戦友のような感じ。 これが二人が一番変わったところかもしれない。 fbに上がっている子育て記録を見れば、僕は育メンであり善き父と映るかも知れないが、妻に言われなくてもまだまだ未熟な子どもらしい。 相変わらず瞬間湯沸し器な性格は変わらないので否定はできない。黙って妻のサンドバッグになれればいいが一つ小言を言われると百にして返してしまう。 この関係性はなかなか変わらないので困ったもんだ。 しかし、妻は二人の母になり随分と落ち着いたように思う。 出会い当初から比べるとだいぶ変わった。マスコミ関係の仕事をしているときは人間関係を損得や使える・使えないで線引きしていたようだったが、人の身体に触るアロマの時は鬱っぽくなって、足を引っ張られる感が否めなく僕の仕事にも支障をきたし、正直どうしたもんかと頭を悩ましたもんだった。 今思えばエステの定職につき長男を授かったあたりから二人の関係性も少しずつ変わって行ったように思う。 それまでは生活苦をお互いのせいにしたり、受け入れる余裕がなかったのだろう。 お互い子どもだったのだ。 この十年余り、忍耐や受け入れること、お互いの価値観を理解し会うために表現を工夫したり、状況を変えたりと本当に色々な事を学ばせて貰ったし、色々な情感を共にした。 僕らの子を二人も生んでくれた事やしっかり母親をしてくれている事には本当に感謝しているし、自分が妻に対してそう思えるように変わった事に一番驚いていたりする。。 "8"は末広がり。 これまでの事を祝福してこれからの事を期待しよう。 喧嘩が少しは減るといいなあ。 しかし、自分が記念日を覚えて祝うようになるとは、十年の月日とは恐ろしいものだ。

十一月・十二月の予定

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十 月・十一月の 予定についてお知らせします。 気が付けば今年もあと二月少しとなりました。 先月はバタバタと忙しく過ぎ去っていきました。このまま年末までそんな感じなのでしょうか?新しい出会いや別れ在り、育児奮闘中の毎日で今月も様々なイベントがたくさんありそうです。 来年は福島の祖父母が米寿なのでお祝いしようとこの間、宿を探しに「滝亭」に行ってまいりました。 対応も接客もすばらしく、なんといっても景観・建物どれをとっても素晴らしかったです。日帰り入浴もできたので露天風呂に入ってまいりました。 なんというかいい”場”というのは空気が動いていますが、落ち着いて澄んでいる。 ああ、ここで仕事したらとてもいいだろうな?と思わせるそんな場所でした。 稽古場の空気にも似ていて、身体がまとまる感じ。 整体や稽古にもこんな空気をまとって行われる、というそんなところがあります。 こういう集注感を伴うから空気が生み出され動いて、その空気に感応して皆の身体が整っていく。 本当にいい場所でした。 ここで泊りがけで合同稽古会出来たら面白そうだ。 なんてことを考えながら今月の稽古のネタを練ることにします。 興味のある方はご参加ください。 稽古会継続登録者の方はキャンセルの場合だけご一報下されば幸いです。 初心者の方は要予約となりますので右記メールフォームにて、 1、お名前 2、連絡先 3、参加動機 を添えてご送信下さい。 最新版のスケジュールは 予約・稽古日程 欄を。 稽古内容については 身体塾稽古会 欄をご参考ください。 日程が変更される場合がありますので、こまめにご確認ください。

西岡恭蔵&KURO追悼コンサート「Glory Hallelujah」

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きずな

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先日、知り合いから亀渕 友香さんが光の世界に旅立たれたと聞く。 晩年、父と仲良くしていただいて伊豆の別荘に招待してくれたことや、お忍びで金沢に来られたこと、忍野dead fesでの余計な力の抜けたステージや楽屋裏での思い出が蘇る。 整体もさせていただいたことがあったな。なにもできなかったが。 「私は患者のプロよ」っていって面食らったことがありました。 沢山の楽しい思い出をありがとうございます とてもパワフルなbig mamaでした。 もうあの歌声は聞けないんだなあ。 寂しいですね。 心からご冥福をお祈りいたします。 「みちしるべ」を聞きながら

あいさつ

昼休みに近所を散策しながら支払いなどの事務業務や買い物をしていると、ちょうど下校ち途中の小学生たちとすれ違う。 最近の小学生はすれ違うと挨拶をしてくれる。 最初はまさか自分に挨拶してくれるなんて思ってもいないので素通りしようとすると、 すれ違いざまにしっかりと顔をみながら「こんにちは」と挨拶してくれた。 「はい、こんにちは」と返すとにっこりと笑顔。 しっかりとした男の子だった。 それから数分ほど歩いて公園の横を通った時も、二人連れの女子小学生がやはり 「こんにちは」とあいさつしてくれる。 知らない人同士でもあいさつし合うのは気持ちがいい。 しかし、知らない人にあいさつするなんてどうしたんだろう? 学校でそう教えられているんだろうか? 昔、僕が小学生の時は知らない人にはついていってはいけないと教えられ 少し時代が進むと、知らない人には関わるな、と教えられたと聞くが、 変ったんだろうか? だとしたらその方がいい。 あいさつは気を通わせる基本だ。 知らない人には声をかけないで判断するより、声をかけて返ってこなかったら変な人だと判断すればいい。都会や人の多いところではそれもいいかも知れないが、田舎や人の少ないところでは挨拶をして返ってくるくらいの関係がいい。 基本だと思う。 子供の感受性を育てるにはそっちの方がいいだろう。 しかし、現代はなんだか変な犯罪も増えているので教育も極端に変わっていくのだろう。 変な犯罪には巻き込まれてほしくはないが、自分で変な事を判断できるように持ってかなければならない。 この近所では子供たちがとても元気だ。 あいさつもちゃんと返してくれる。 うちの子たちにもあいさつは大事なんだ、と教えることにしよう。

あたわりもの

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"あたわる"とは富山の方言で運命付けられたもの、与えられたものとある。 私見だが、これは元々は仏教かそれ以前から生まれた言葉なんじゃないかと思っている。 富山を含め北陸には浄土真宗門戸が多く、それ以前の白山信仰も手伝って方言だと思って普通に日常会話で使われている言葉が、実は仏教用語から来ている事は少なからずあるため、"あたわる"もまたそんな気がする。 誰か真実を知っている方にはご教授願いたい。 ともかく神仏の領域からやってくるモノ・コトを縁や運と言い表し、そこから得られる自然界の恩恵を"あたわる"と感謝を含めて自然界や自分の宿業を超えてやってくる何かに祈りを捧げているような印象を感じるのだ。 別に僕は信心深い訳でもなんでもない。どちらかといえば思慮の浅い不埒者であるが先祖からあたわったモノ・コトや、ご縁や運の良さには感謝せずにはいられない。 子どもが来てくれた事もそうだし、整体や武術に出会えた事もきっとそうだろう。たくさんのモノだって譲り受けている。余りに色々なモノを貰うのでホームレスかリサイクルショップでも開けてしまうんじゃないか?と思えるほどだ。 嫁さんにはこれ要らないんじゃないの?と時々突っ込まれて逆上する事がしばしばある。 どうも物持ちがいいのは親譲りらしい。母親は特に物持ちがよく、一見がらくたにしか見えないモノまで大事に保有している。 というのもこの間、京都出張の際にいつも使っている通勤カバンのファスナーが壊れてしまった。 結構お気に入りだったので修理しようかと見積り出してもらったら二万円近くかかるらしく、それなら新しく買い直す他ないと泣く泣く断念した。 Amazonでも覗いて見ようと実家でスマホをいじくり3つくらいに候補を絞り、コレにしようかとポチろうとした瞬間、母親が現れて「あ、そういえば、いいカバンあるよ」と二階でゴソゴソやっていたら革製のトートバックを持って来た。 なんでも僕の祖父が通勤に使っていたものらしく、母親も高校生の時に通学カバンとして使っていたらしい。今から五十年も前の話なので僕より年上の年代物。 三世代に渡って使われていく事になる代物。 なんというかひとめぼれ。 外見もいい具合

表と裏

京都三日間を終え、いつもの友人宅で一服ごちそうになる機会があった。訪ねるのは半年ぶりだがいつも行くとコーヒーを煎れてくれる。 それが今回は抹茶に変わったわけだ。 自己流だが旨い。器は二つあってこちらは馴染むがこちらは馴染まない、ともう一つの茶碗を出してくる。触れてみるとなるほど、先ほどの器とは集注が違う。 一つ目が表の身体なら二つ目は裏の身体。 見えてくる風景が違う。 二つ目でたてるなら、手順を逆にした方がいいような気がする事を伝え、右なら左で。上から下なら下から上へ茶筅を振る ようにする。 そして試して見ようと第二ラウンド。後ろ姿を見るとかたがっているので、腰を整え、それに手足がつくようにしながら茶筅を振ってもらう。 いつもと違う感じらしくたてやすくなっったらしい。。 たてた抹茶を皆で試飲。 結構なお手前。 たてた本人が一番びっくりした様子。 こちらも器によって表と裏の身体が鮮明に見えたのが面白かった。こういう事から表千家、裏千家との違いがあるんだろうか?なんだか面白くなって来た。他の流派はどうなんだろうか? 家に帰りそういえば母親は宗和流のお茶を習っていたな、と聞いてみると、茶碗には夏茶碗、冬茶碗があることを教えてくれた。器の形の違いで使い分けるらしいが、 茶人たちは身体の見え方も含めて夏用、冬用と使い分けていたのかも知れないな、 私が感覚したのはコレだったのかも知れないな、と妙に納得。 勿論、それが本当かはわからない。 京都三日間の最後に稽古の種を頂きました。 さて、これをどのようにして咲かせようか?

十月・十一月の予定

十 月・十一月の 予定についてお知らせします。 この間聞いた話によると、イタリア上空には放射線の強い領空があるそうで、ヨーロッパ方面に向かう飛行機会社の間ではそれは常識らしく気を付けるそうです。その理屈から行くとイタリア人は毎日強い放射線にさらされているわけですが、がんの発症率は少ない。 対して日本人にはがんが多い。なぜだろうなんてことを話していました。 僕の随分と勝手なイタリア人のイメージは母親を大事にしていて女の人好き、どちらかと言えば自分の欲求に素直なのかなと。 まあ、色々な事を考えれますね。 その話と関係はないかもしれませんが、整体の受け方が上手。整えやすい人たちというのがいます。たぶん、その人たちは自分の欲求に素直な生き方をされてるんじゃないかと思うわけです。病気のことなんか考えていない。 その時その時自分にピッタリな感覚を追い求めている。 幸せな生き方と言えそうです。 がんや病気にならないようにしよう。だから身体に気を付けよう。というのも悪くはないでしょうが、たぶんそれと先ほどの幸せな生き方というのは全く違うものなんでしょうね。 後者の考え方は幸せになろう、というより不幸にならないようにしようとして生きている。だから最初の出発点がこうなろう、ああなろうというより、ああならないようにしよう。こうならないようにしょうという印象が先に形成されてしまう。 これを身体や育児に置き換えるとああしたい、こうしたいという欲求がその子の力や身体を作っていく。欲求が満たされるという事を通して安心感や幸福、信頼感などを獲得していく。 その欲求をどう伝えればいいかという事を通して表現が積み重なり形成されていく。 喜びをどうすればもっと共有していけれるか、そのために何をするかという事が基本になっていくので災難や困難があってもそういう時期ととらえることしてできそうです。 人間はそういった人同士の交流の場でお互いの生命力を高め合って蓄えてきた。 その立ち上がった場から様々な知識や知恵、型が生まれ分かち合ってきた。 と理屈で言えばこうですが、万事この調子ではもちろん行きません。 だからこのことを細胞レベルにまで昇華させたい、体験の積み重ねから事実にしたい。 その事実をもっといろいろな人と共有したい。 というのがこの会の稽古の理

漫画オタクだから

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この間、こんなものを頂きました。 手塚治虫作品のキャラクタードット絵シール。 左上からブラックジャック、ピノコ、七色いんこ、ユニコ、三つ目がとおるの写楽保介。 リボンの騎士。左下から火の鳥、ジャングル大帝レオ、ウランにアトム、不思議なメルモ、W3のプッコ。 懐かしいな~~。 ・・・・・・。 ・・・・・・。 何かすらすら出てきてしまう。 やばい””何故だ?なんで名前がすべてわかるんだ?。だいたいW3のプッコなんて僕の世代でわかるやつおらんやろ? 手塚治虫なんて十代の頃にはまって読んだきりなのに。 なんでそんな前の事覚えているんだろう? どんどん思い出す。そしてどんどん萌え出す。 そうかやっぱり好きなのか?やっぱり漫画オタクなのだ。 ガーーーーン。 というかあれだけ指導室の壁面が漫画ばかりならだれもがそう思うでしょうね。 隠してもしょうがない。 というか、個別指導に来た人と長々と漫画話しているときもあるし、今更否めない。 はい、そうです。やっぱり好きなんだと思います。漫画。 漫画ばかり読んでます。そうです、はっきり言ってオタクです。。オタク マニアなんてそんな優しいものではありません。 久し振りに引っ張り出してきて読んでみようか? なんせ400冊近くあるし、なんだか漫画で読書の秋になりそうな予感。 はー嫁や子供には見せられない姿ですね。 とんでもないものを頂いてしまいました。 漫画好きモードに入る起爆剤でした。 まいったな~~。 300円ショップで手に入るらしく他にも種類があるそうです。 今、買いに行きそうな自分が怖いです。

突然の来訪者

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水曜日の朝。 子どもを保育園に送って行き、 仕事場で準備に取りかかると突然リチャード氏来訪。 彼は今から十何年前、沖縄でのサバイバル生活を共にした親友で、 共にタイ式マッサージの修行をした仲間である。 とにかく見た目がインパクト大‼ 髭は白く長く、ドレッドヘアの長髪で一見仙人みたいである。 僕とは親父と息子みたいな歳の差で、第二の親父みたいな存在だが、 対等な友達付き合いをしてくれている友人であり、 気が若く生命力に溢れている。 久しぶりに会ったがますます磨きが掛かっている。 ぜんぜん昔と変わらない。 普段は沖縄で知る人ぞ知る「風酔苑」でタイ式マッサージとアート制作 に励んだり、歯科技巧士でもあり、 映画制作にも関わっているので、呼ばれれば山形まで飛んでいき、 雑用から裏方、脇役?までこなす有名人である。 何せとにかく目立つし、好きなことばかりして生活している。 関わった映画は有名作品から多数でよく芸能人のツーショットやマ ッサージしたなんて事を自慢してくる。彼は語学も堪能である。 何せたくましい。 沖縄では本当によく助けられ救われたもので不思議な経験を共にし た。いつかそこら辺の話もブログに書きたいが、 ここでは言えないエピソードもたくさんある。 本当にタイ式修行時代は二人でつるんでよく悪さをしたものである 。 当然、昔話に花が咲き、それから沖縄でのサバイバル生活。 僕と妻との馴れ初めの話し。 武術や整体、文化、アート作品、音楽、 映画の話まで飛び出し話しはつきない。 今回は福井で撮影があり、 山形に帰る途中でよってくれたのだった。 オフレコだが、 今度の作品はナンバ走りが一つのテーマであるらしく、 いよいよお前の出番だ! と少しだけ映画のさわりについて話してもらう。 ほんまかいな?ってな話しだが、 彼とのこんなやり取りが本当に懐かしく嬉しい。 このまま帰ってもらうのも気が引けるので、 刀を使っての半身の取り方や、 手や胸を封じての立ち上がり方や座り方を一通り稽古してもらう。 楽しい時間はあっという間に過ぎ、 彼はいつもの笑顔で帰って行った。 またすぐに会えるだろうが、 久しぶりに会ってもすぐに気が合う大切な友人の一人だ。 今度は是非、

無題

とある日のやり取りから 治療は人を弱くする。 調整は人を強くする。 治療は貴方のためになるかもしれないが、調整は双方のためになる。 治療は関係性までは直せない。 調整は関係性を整える。 治療は他者を高めるかも知れないが、調整は私と他者を高めあう。 精神は治ろうとするが、身体は生きようとする。

沖縄からの風19

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この間の「観能の夕べ」の鑑賞会などで、段々と会員の皆様と稽古以外の「オフ会」。 課外活動も増えてまいりました。 定期的にこの課外活動も企画していこうと思っております。 目安は一つの季節に一回とか。 12月にはまた「能」の鑑賞会などもできたらいいですね。 その前にまずはこれ☟ 沖縄から古謝美佐子さんが来られます。 元ネーネーズの初代リーダーにして、ヒット曲「童神」(NHKドラマ「ちゅらさん」のOPテーマ)歌手です。 歌声はブログ内、音楽採集でもご視聴いただけます。 ただ、この音楽会。 昼の二時からで会場も白峰の奥なので、金沢からだと一時間~二時間近くの距離。 その日には稽古会も入っておりますので、稽古を早めに切り上げ皆で食事などをすませてから会場に向かう、というのも楽しそうではありますが正直厳しいかもしれません。 なのでまだ本決まりではなく、参加希望者が多数いましたらやわやわと前向きに検討して企画していこうかと思います。 生で聞く機会などそうないですからいい機会でもあります。 古謝さんの歌声は絶品ですよ。

九月・十月の予定

九 月・十月の 予定についてお知らせします。 なんだかいきなり秋風になりました。 毎年恒例、八月終わりの薬害は頭の調整の季節と相成り、2、3年で消えます。 思えば僕も子供の頃はこの時期に怪我ばかりしていたような気がします。 決まって身体の左側ばかりに怪我が集中するのが不思議でした。 さて最近、稽古を通してこんな風になった、こんなことがあった、こういうことに役立ったという嬉しい報告が聞けています。 生活の中に個別指導や稽古を通して見つけたものが参考になっているようで何よりです。 元気になっていく人たちの一つの特徴というのはこういった”変化”を見つけ楽しむことができる人たちのように思います。 逆に言えば客観的にも身体が変わり、誰が見ても中身も変わっているのに、変化を感じ取れなければ、ずっと不平・不満を漏らすことに繋がりそうです。 人に変えてもらうのを待っているから変わらない。 他者に求めるより先に自分に求めよ。 変化に貪欲、鋭敏であれ。 そうすれば自ずと転回し、道が開けていく。 という事に尽きるかもしれません。 今月はこういったことを頭で考えるより、身体の中に見つけていく稽古をしようかな、と思っております。 興味のある方はご参加ください。 稽古会継続登録者の方はキャンセルの場合だけご一報下されば幸いです。 初心者の方は要予約となりますので右記メールフォームにて、 1、お名前 2、連絡先 3、参加動機 を添えてご送信下さい。 最新版のスケジュールは 予約・稽古日程 欄を。 稽古内容については 身体塾稽古会 欄をご参考ください。 日程が変更される場合がありますので、こまめにご確認ください。

No woman no cry ネーネーズ nenes

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こういった洋楽を邦楽カバーで失敗気味なものは多いですが これは秀逸!! ぱ

うないぐみ+坂本龍一「弥勒世果報 (みるくゆがふ) - undercooled」

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生まれる前の事

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最近の長男は自分が赤ん坊だったときの話をよく聞かしてくれる。 あのとき自分はこうだった、ああだった。 ここに行った。こんなことをした。誰々はこうだった。と、本当に細かい事までよくおぼえている。 パパママは喧嘩ばかりしていた、と来ると二人とも苦笑い。 そんなときもありましたなあ。 今日もそんな話から始まるのかと思って聞いていたら、なんと!どうも生まれる前の話をしているようだ。 そういう事例があることは知っていたが、実際に遭遇することは初めて。 母親のお腹の中から生まれてきたこと。 何でも母親のお腹の中に三角屋根で細長いお家があって、そこに次男と二人で住んでいたらしく、海に向かって走ってパッカーンと生まれてきたこと。 二人で走ったが自分の方が早かったらしく、次男は途中で疲れて眠ってしまったらしい。 その時ママはどうだった?と聞いてきたり、パパは自分を見たときどんなだったと聞いてきたので、とても感動したことをありありと思い出してなんとも言えない感慨深い気持ちになった。 本人は走って生まれてきたことにとてもびっくりしたらしい。 こちらもとてもびっくりしたけどやっと会えてすごい嬉しかったよ、と伝えるとはにかんだ笑顔を返してきた。 そのおうちには他にどんな子がいたか、聞いてみたがその時は二人しかいなかったらしい。 長男のその話は部屋を暗くして寝る前まで及んだ。 自分の生まれた時の話をして、その時の事を回りに聞いて自分の歴史を作り始めているのか?何度も何度も聞いて来る。 その当時のアルバムも何故か手元に置いてあって、生まれてからの話も、この時はああだった、こうだった、パパとママはこの時どうしてた?どうだった?と何度も何度も聞いてくる。 他の家族の事も聞きたがり、 「パパは誰から生まれたの?ちぃばあちゃんは大婆から?それってすごいことだよね?」 と大人びたことを聞いては喜んでいる。 自分のまだ少ない生きた時間を丁寧に丁寧に心に綴りしまいこんでいるかのようだ。 子どもは三歳までは神の子というが本当だ。 こんな子ども達を悲しませていいわけがない。 良くできた空想かも知れないが、この空想を守る責任が大人達には絶対にある。 この子の親に成れて良かったと思うそんな

白寿祝

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昨日は祖母の99歳の白寿祝い。 久し振りに親戚一同顔を並べる。 プレゼントをもらいご満悦の祖母。 上は99歳から下は0歳児。 99歳差は何ともすごいですね。 事の様子がまだわからないお兄ちゃんもおりました。 自分の誕生パーティと思っていたらしい。 帰ってから皆でケーキを食べ、また一回りの大騒ぎのここでも四世代交流。 楽しかったですね。来年は100歳。 まだまだ長生きしそうな気配です。

CUBA FELIZ. Tocando en Santiago.

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万年筆動法

能は神事~観能の夕べから~

昨日は連れだって観能の夕べに行って来ました。 感応の夕べと言っていいくらいのたくさんの人がこられていました。ご一緒した皆様も楽しんでくれたようで何よりです。 やはり能は神事。 特に夢幻能にそれが色濃く出てるように思います。 能には身体がある。日本人が守り継承してきた古典的身体性が場に現れる。 意味や理屈で落とし込むよりも、ただ感じればいい。身体で見ればいい。頭で見ようとすると余計に難しい。 仕手は神仏・心霊や怨霊との感応動法を行い、そこに現れる古典的身体を持って憂い、敬い、弔い鎮めて行く。そこに"私"はいなくただ場が浄め現れる。 観客はそんな仕手方達の身体に応じ、"私"を消失させ、その身体に集注し入り、まだ見ぬ身体や私や見えていなかった感情や、その物語の風景や時空に出会う。 そんな感想を抱きました。 これが能が神事と呼ばれる由縁なのではないか?と思います。 佳き時間でした。 また企画して見に行きましょう。 整体稽古者は色々参考になると思いました。

一向一揆祭り

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先週の日曜日は次男にとっての初めて尽くし。 姫神社への初参りに 初めての滝と川遊び。  鳥越で初温泉をした後は流れるままに一向一揆祭りへ。 祭りのクライマックスは皆で盆踊り。 どんどん渦を巻いていくうねりになんだか息子たちも、うずうずで大はしゃぎなご様子。 何とも月が明るい。 この後は夜空に花火が打ち上げられ、山にこだましてなんとも迫力がありましたな。 旧友にも会えたし、有意義な時間でした。 ろうそくで照らされた道がなんとも幻想的でした。 ハウス風のリズムに乗っての盆踊り。

新装

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一応楽縁堂には看板があってこの度、墨塗でリフォーム。 こんな感じで仕上がりましたとさ。 真夏の炎天下の中ではさすがに無理なので夕方涼しくなったところでやってみました。 なんだかいい感じ。

Buddy Guy - When You See the Tears From My Eyes

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八月・九月の予定

八 月・九月の 予定についてお知らせします。 暑い日が続いていますが、今月はリンパ・血液関係の技法を研究し、体内温度の上げ下げを実習しようと思います。 他に引き続いての脱力・集注レベルの底上げといった基本的なことを実習したいと思います。 7 月から月曜日の時間割りが13時~15時半に変わっていますのでご確認ください。 稽古会継続登録者の方はキャンセルの場合だけご一報下されば幸いです。 初心者の方は要予約となりますので右記メールフォームにて、 1、お名前 2、連絡先 3、参加動機 を添えてご送信下さい。 最新版のスケジュールは 予約・稽古日程 欄を。 稽古内容については 身体塾稽古会 欄をご参考ください。 日程が変更される場合がありますので、こまめにご確認ください。

観能の夕べのご案内

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「観能の夕べ」 夏ですね。 気温も30度を超える日が続いております。 皆さまはいかがお過ごしでしょうか? そんな夏の納涼にぴったりのイベントが今年もやってまいりました。 7月から8月の終わりごろまでの期間のイベントとなりますが、夕方から開演でお値段もリーズナブル。 能楽体験として4時ごろから謡・仕舞・囃子や狂言体験などもできるそうです。 無料なのでこちらも面白そうです。 個人的には8月12日(土)回の狂言 「墨塗」・能 「葵上」と 8月26日の回の狂言 「入間川」・能 「鵜飼」 気になっておりますので、また興味のある方はご一緒に観能しませんか? 何を見るかも大事ですが、誰と見るかも大事ですもんね。 稽古仲間の皆さんと一緒に見ますと、新しい能の見方が見えてくるかもしれませんし、稽古着や着物で見てみるとまた面白いかもしれません。 17時半開演なので、18時ごろに能楽堂の前で待ち合わせでもいいですし、 お近くにお住まい同志の方は乗り合わせてこられてもいいですね。 参加される方はブログ内右記メールフォームでお知らせいただくか、個別や集団稽古の時にお知らせください。 ではでは。 熱中症にお気をつけてお過ごしください。

記憶の仕方

整体指導にこられた年配の方とお話ししていて、どうもこの年になると記憶力が弱くなるからかすぐに物事を忘れる、 スケジュール管理が難しいらしく、何かいい方法がないものか?という話になった。 何だかこう言う話が一つ出てくると、二つ、三つと増えていくから不思議だ。 貴方はまだ若いからそんな事はないでしょう?と言われて、どうなんだろう?と思い返して見ると、確かに自分で決めたことは忘れないが妻や家族に頼まれたことはすぐ忘れるから、メモをとったりLINEで送ってもらったりしていることに気がついた。 メモを取ってもすぐに忘れる場合はどうしたらいいか?と聞かれたので、記憶の仕方について考えてみた。 自分で覚えた事は忘れないのに、人から言われた事はすぐに忘れる、というところがおもしろい。 そこに解決の糸口が見えそうだ。 自分の記憶の仕方を振り替えって見ると、予約張でスケジュール管理はしているものの、朝に無自覚にも段取りをしていた事に気がついた。 例えばこんな具合だ。 子どもたちがご飯を食べている間にあれやってこれやって、保育園送ってから、仕事場であれやってこれやって、何時に誰々来るから、次は誰々、空き時間にこれして、何時に子どもを迎えに行って、次は誰々で終わったらこれして、というような段取りを布団の中de 脳内に繰り広げ、だんだんと面倒臭くなってきて忘れる。 予定調和など下らない。 やっぱり即興性だ!と蒲団から飛び出し綺麗さっぱり忘れる。 そして朝を迎えるといった具合だ。 そうするとその時忘れていても、次の現場、次の現場と移り変わる度に、一つの作業を終えると次のやるべき事が出てきてという繰り返しで一日が進んでいく。 そういう便利な習慣がどうやらいつの間にか身に付いていたらしい。 頭に記憶したことが腹に降りていく、そしてまた頭に戻り思い出す。 こういったことは忘れない。 頭だけで管理しようと覚えようとするとだめ。すぐに忘れやすい。 現に一年に一回位、予約張に書いてあった事を忘れていて、整体指導に来られた方と鉢合わせして、「ありゃー、しまった。」なんてこともたまーにあるから人の事は言えない。 とにかく訓練が必要だが、前の日の夜眠る前でもよいの

飽きない

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今日は一月ぶりの書の稽古。 相変わらず参加人数は少なめ。 たまには書の稽古以外の他の稽古のことも書きたいし、そういうリクエストも貰ってはいるが、なんでかしら書の稽古の事だとすらすらと思い付く。 今日の金沢の気温は32度を越える。 しかし、こんなクーラーも扇風機もない部屋でひたすら自分に向き合い、書を書いていくなんて気がふれている、としか言いようがないかもしれない。 いつか熱中症で倒れるんじゃないか、と思い始めて見ると、いつしか涼しげな風が吹いてきて、終わる頃にはさっぱりしているのがいつも不思議だ。 熱気もどこへ、と艶々したさっぱりした顔だちへと変わる。 不思議といえばここ一年は課題に辿り着けず、書いているものは地味にたて線、横線、はね、払い、そして丸、の本当に基本的な事。 ぜんぜん飽きがこないから不思議だ。 というのも身体の中の内動性で書く事を主眼においているからか、色々試すこと有りなので、まったく飽きない。 師匠に頂いた課題をもとに 毎回 違う手順が生まれて、毎回違う書き方で書いている。 どんどん良くなってきている。 基本が進化していくとはこの事だろうと、毎回参加者と確認し合っている。 飽きない事が本当に不思議だ。 今まで数多くの趣味に没頭し、飽きては止め、つまらなくなりして投げ出して来てはいた訳だが、ただ延々と線を書いていくことがどうして飽きないんだろう? なんてことを考えていたら一つ思い当たったことがあった。 振り返ってみるとすぐに飽きる物事は「身体」がない。感じ取れない。 型が分からないから集中が乗らない。そういう未熟さがあったのだろう。 今も未熟に変わりはないが、未熟という事を知っただけ当時よりは少しましだろうと思う。 だから単純な物事の中に面白みを感じ取ることができてきたのかもしれない。 ただひたすら線だけをかくなんて、 こちらの方がすぐに飽きて投げ出しそうなものなんだが。 今日は参加者の方に聞いてみた。 「ここ一年、線ばかり書いているけど、飽きませんか?」 「いいえ、 いつも新しい自分に出会えるんです。」 なるほど。 それこそ稽古の醍醐味かもしれない。 出会える「書」だから、飽きないんだ。

Glenn Gould-Beethoven-32 Variations in C minor (HD)

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Horowitz plays Chopin Ballade 1

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祖父と煙草の思い出

誰かと煙草の話をしたせいだろうか。 それとももうすぐ彼岸が近づいてくるからか、そのせいか祖父の事を思い出した。 十代の終わりごろに大阪に出た。 三年くらいたった頃金沢に戻ると、祖父母の住んでいた土地に新築の居を構えて、両親達は二世代同居生活を始めていた。 いつも祖父母の家を訪ねると、和服に座椅子で迎えてくれた「かくしゃく」とした僕の祖父は、着物ではなく作務衣に代わり、車椅子に座って、デイサービスの方からは「かっちゃん」と呼ばれる愛らしい好好爺になっていた。 脳が段々と萎縮してスポンジ状に変わっていく病気を患い、段々と筋力も衰えてきて、口数も少なくなり、孫の顔もわからなくなっていったが、ぜんぜん手のかからない人だったと思う。 時々、急に記憶が戻り皆の顔を思い出す時があった。 それは一人でテーブルに車椅子で座っているときに、誰かが置いたであろう煙草に手を伸ばし、慣れた手つきでトントンと煙草を一本取りだし、いつもは震えている手がピタリと止まりシュボッとライターで火を着けて、キューっと煙草を旨そうに燻らせていたときだった。 そんな時は大抵、こちらにくるっと笑顔を向けて、「オオ、日向、いつ帰ってきたんや?」とこうくるのだった。 大阪から戻って来たことや最近の近況や一緒に住んでいるんだよ、と伝えても次の日にはいつものボケた好好爺に逆戻り。 煙草を吸わせると記憶が戻るんじゃないかと、何度か吸わせて見ても何も変化はない。 だが記憶が戻る時は大抵、自分で煙草に手を伸ばし旨そうに一服しているときだったから不思議だ。 そういう時は二人で一緒に一服したものだ。 「爺ちゃん、この煙草旨いかい?俺にも一服分けてくれよ?」というと、 「お前も煙草のむのか?あんまり身体によくねえげんぞ」とかいいながらも、嬉しそうにトントンと叩いてスッと一本出してくれたのだった。 今より分煙化が進む前の話だ。 旨そうに煙草をのんでいる爺さんの横顔がすごく幸せそうだったのを今も在り在りと覚えている。 それから程なくして逝ってしまったが、死ぬ前にもう一服してもらってあの「かっちゃん」スマイルを拝んでおいても良かった。 まあ、あちらでも旨そうにふかしていることだろう。 煙草が有害か無害かの話はどうでもよく、その手の話を聞く

七夕

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七夕。 ↑どういう事?? 元は中国の文化だが、 毎年この日になると七夕飾りと笹を買ってきて、子供達家族と会員の皆様に短冊に願い事を書いてもらう。 晴哉先生の潜在意識教育にあやかったものだ。 子供が生まれてから定番になったイベントと言える。 巷での七夕説は彦星と織姫が一年に一回の逢瀬を行うとし、それに乗じて願い事を短冊に書くのが風習化したとある。 内に来る子供達にどんな願い事をしたの?と訊ねるとなんとも恥ずかしそうにもじもじしている。 腹のうちをさらけ出すのがなんとも恥ずかしいそうで人に見られるのも恥ずかしいらしい。。 本気の願い事を書いて皆に見られて、なんと思われるかが気になるのだ。 もう少し年齢が進むと、子供じみた事はしたくないとか言い出すかもしれない。 かといって誰に見られても恥ずかしくない願い事は妥協して書いたものかも知れないし、本気の願い事とは言えない。。 僕にとっての七夕は何も織姫と彦星のロマンチックな逢瀬ではない。 七夕は一年に一回、本気で自分の腹の底をさらけ出し、自分の無自覚な願望を見つけ出す日なのだ。 自分に素直に生きる決断をする日なのだ。 そしてその素直さに信念を持つこと。 そうやって腹の底を見たもの同士が見つけた願望は誰も笑いはしないし、一つの願い事に一人、二人、三人の気が合わさり、実現に向けて自然と動き出す。だからちゃんとした人間関係を結ぶ日でもあるんだよ、と気がつけばベラベラと口が動いていた。 そして綺麗さっぱり忘れることだ。 そういう意味を込めた潜在意識教育の七夕祭りだったのかな?と自分の喋っている事を聞いて思ったのだった。 皆様はどんな願い事をされたのでしょうか?

七月・八月の予定

七月・八月の 予定についてお知らせします。 七月七日は七夕です。短冊に願い事を書いて持って来て下さい。 回を増す毎に濃密さと濃厚さが増してきた稽古会です。 段々と一つのテーマを設けるようになってからは、だいぶ交通区画整理され風通しがよくなりつつあります。 理解の幅や楽しみ方が増したように感じています。 意志を遠ざける。観念から外れる。 正解を探す。 段々と難しい問題も出てきました。 久し振りにやってみる稽古が前と全く違うものに感じるという事もあるかもしれません。 出来たという動きや感覚が分かっていなかった。という事もあるかもしれません。 そうやって身体の稽古を通して経験的につかんだことは技能や職場、家族や育児、友人などの人間関係に役立つことと思います。 各稽古一コマ二時間で教えた内容は、例えて言うなら在来工法のぎ木の仕方です。 一つずつ手渡した素材を一人一人が自分の日常に持ち帰り、磨きあげていく。 今日渡した素材は土台、今日渡した素材は柱。 そうやって渡された素材を継いで屋根や壁ができて家が仕上がっていく。 身体も同じです。 一つの素材を理解するから、どこの部材か? そしてその素材同士の相性や継ぎ方がわかってくる。 その面白さが段々とわかってくる。それがどんなジャンルの稽古の醍醐味ともいえます。 稽古会継続登録者の方はキャンセルの場合だけご一報下されば幸いです。 今月から月曜日の時間割りが13時~15時半に変わります。 現在、治療をお望みの方は個別指導の前に稽古会にご参加ください。 身体治しは稽古会で行っています。 初心者の方は要予約となりますので右記メールフォームにて、 1、お名前 2、連絡先 3、参加動機 を添えてご送信下さい。 最新版のスケジュールは 予約・稽古日程 欄を。 稽古内容については 身体塾稽古会 欄をご参考ください。 日程が変更される場合がありますので、こまめにご確認ください。