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仕事納め

今日で今年のお仕事終了。 急患もあったりと忙しかったがなんとか終わることができた。 今年もなんだか色々あったが楽しかった。 稽古収めもしたし、仕事場の掃除も終わったし、神棚の榊も飾ったし、あと二日で新年を迎えることとなる。 しかし、今年のブログ記事を読み返すと吠えとるなー語ったなーという感じ。 まだまだ若いな、いや青臭いんだろう。 まあすこしずつ成長していることにしよう。 なんとか100記事書けたし良しとしよう。 残りあと二日、家の掃除をしながらゆっくりと今年を振り返ることとなりそうだ。 今年の反省点をあげるときりがないが、来年にいかすこととしよう。 来年にやりたいこともたくさんあるし、なんといっても一大イベントは第二子に関することになりそうだがどうなることやら。 ここ最近、睡眠が深くてよく夢見ることが多いような気がする。 タンチョウヅルやらクジャクやらが登場し、鳥がよく出てくるなあと、思っていたら来年は酉年だったのね。 なにか取りに行くことになるかもしれない、という希望を胸に今年はもう筆をおくこととしよう。 パソコンはしばらくお休み。 それでは皆様もよいお年をお迎えください。

クリスマスと誕生日

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12月24日は世間的にはクリスマス。だけど我が息子の誕生日でもあった。 なんだか今年はこれでもかっ!というくらいに皆様に祝ってもらい、たくさんのプレゼントを頂きました。皆々様ありがとうございました。 まずは爺ちゃんからのプラレールセット!! あの父親がこんなプレゼントを用意しているとは全く知らず、親父も変わったもんだと思いました。やっぱり孫が可愛いんでしょうね。孫の力はすごいなー 友人宅でのクリスマスパーティ&誕生会。 福島の曾じじばば様からもプレゼントが届く。服やら食べ物やら絵本やら 本当にたくさんのプレゼントを頂き喜ぶ アマト。幸せもんですな。 お陰で三日間外食三昧。そのたびにケーキも食べていたのでこのまま正月に突入するとなんだかひたすら食べることがつづきそう。 最後はパパサンタからの欲しがっていたアンパンマンのパン工場セット!! 今年はたくさんの笑顔が見れた誕生日でした。 本当によかったね。三歳の誕生日おめでとう!!

初雪

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昨日、金沢は初雪が降った。 なんでだろう。雪が積もるとかえって暖かく感じるのは。 これがドカ雪 にかわるとうんざりするが、やはり雪がふると嬉しい。 子供も大人もにこにこしている。不思議だ。 朝ぐずっておきる息子が泣きながら起きてきて、雪を見たとたん笑顔に変わって泣き止んだ。やっぱり不思議だ。 保育園から帰ったらみんなで雪だるまを作る約束をしていたが、ちょっと買い物を、と金沢駅まで行ったら作る時間が無くなってしまった。すまん!! 金沢駅は観光客でごった返していた。 小さい息子を連れての買い物だったが、皆道をゆずってくれるし、配慮してくれる。 土産物売り場の売り子さんも子供を見るとにんまりとほほ笑んでくれる。 こういったところが金沢の一番好 きなところかもしれない。 人が多いところを歩いていてなかなかこういった対応を受けることはないと思う。 東京じゃまず無理だ。 金沢位中流都市では当たり前。というよりこれが金沢の底力だと思いたい。 なんにせよ、子供にやさしい町は助かる。 なんてことを考えながらお目当てのものをゲット!!! これで東京土産ができた。 さて、明日は今年最後の東京稽古だ 。 今年も色々あったなーと思いながらの小旅行になりそうだ。

山河

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彼女は中学一年生。 演歌なんて普段ほとんど聞かないが、彼女の歌は身が洗われるようでした。 。

意識(事の起こり)を読む

沖縄での武術の修行の時の話。 といってもかじった程度の話。 突き・蹴りが合格点をもらえ、昇段した後。 そろそろいいだろうと師匠が武器術の稽古をつけてくださったことがある。 その日の課題は刀の操術について。 真剣じゃないと話にならんから、と師匠自作の刀を持たせてもらう。 この流派は武器術に長けた流派だったので、武器の手入れは自分で行い、自作することも多い。 聞いた話によると上原先生は武器の手入れの為の部屋があり、その部屋で武器をつくっていたこともあったらしい。 相対稽古は簡単なもので、お互いが刀を持って立ち会う。 そして切り込んでいき寸前で止めるというもの。 もちろん怪我などないようにお互いがある程度の熟練者であり、自分の身体をしっかりと止められる者たち用の稽古である。 なんでか知らないが、その稽古に混ぜてもらうことができた。 これが武の世界、戦場での立ち合いであると、一つ先の事を弟子に体験させてあげようとという師匠の計らいだ ったのだろうと思う。 さて、持たせていただいた刀は柄がシダ植物のつるでグリップを補強したかのような形状であり、 刀身こそ反っているので日本刀の形状なのだが、柄だけ見ると少々変わっていて沖縄仕様なのであったが切ることに関してはさほど問題ないといった感じだ。 「どこからでもかかってきなさい」というような漫画のようなセリフから立ち合いは始まる。 が、その場面においてはそんなことも思いもしない。張りつめた空気が立ち込める。 とりあえず両手で構えた中段の構えを取ることにした。 切り込んでいくときに両手を振り上げるので胴ががら空きになるが、その時はそれしか知らない。 師匠も同じ構えを取るが、なんというか隙がない。なかなか打ち込める気配が出ない。 どういう角度で、どちらに入り身するかで侵入しようかと、そちらの方向に気を向けると師匠の構える刀の切っ先がこちらの胴体に向けられる。 これでは自ら刺さりに行くようなものだ。 先の先を制すとはこのことか? こちらの意識の形が目に見えているのか? 左に飛び込もうかとそちらに気を移すと、切っ先はそちらに向く。 右なら、その先に切っ先を向けられる。 しばらくその攻防は続き、少しづつ構えも変わっていき、こちらが上段なら相手は袈裟に構える。 袈裟の下段ならそれに合

冬の観能の夕べと定例能のご案内

来年の一月から三月までの土曜日の間に「冬の勧能の夕べ」というイベントがあります。 楽縁堂に通われている北陸一の笛の名手、江野さんが出演されます。 彼女の笛は風景を伴うような不思議な響きがあり、とても佳いのです。 彼女の笛を聞いて能楽の良さや面白さに目覚めた人もいる様子。実は僕もその一人なのです。 出演日は 1月21日㈯、「金札」 2月25日㈯、「羽衣」 http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_011.html に出演されます。 このイベントはとてもわかりやすく解説も丁寧なので、親しみやすいかと思います。 若い子も多数出演されるので今後の金沢の能楽の発展に期待大ですね。なんだかこちらも嬉しいです。 今年は定例能の日曜日の会でも多く出番があるみたいなのでとても楽しみです。 2月5日㈰「難波」 3月5日㈰「雲林院」 6月4日㈰「高砂」http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_015.html 9月3日㈰「項羽」 10月1日㈰「半蔀」http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_022.html 12月3日㈰「舎利」 と、来年は多忙を極めるであろうスケジュールですが、今後の活躍を祈っております。 個人的に気になっているのは「金札」と「雲林院」と「項羽」です。 興味のある方はご一緒しましょう 。 来年は勧能の会でも催しましょうか。 ではでは。 (解説のアドレスは能楽ドット、コムから拝借しました。)

観点が変わると

身体に動かないところがあるとする。 動かそうともがけばもがくほど、首に力みが生じ上気する。 身体が熱くなり、一見動いたかのように見えたその部位は実は固定化されたまま。 その部位から生み出される精神もまた固定化され、ものの見方もまた固定化される。 その部位が怒りを生じる場所なら、その怒りは固定化されたまま。 その部位が悲しみが生じる場所なら、その悲しみは固定化されたまま。 動くことはなく忘れされられ、他の部位・情感と合わさって複雑に絡まり合っていく。 そして、また同じことを繰り返す。観点が固定化されているからだ。 逆説的に言えば固定化されたままの心の角度は身体を動かすことでほぐれていくことができる。 要はその身体を眺める角度・方向だ。 人間の身体は無自覚にも八方向に動いており、上下、左右、前後、左右回転、「氣」という字の中の米はその八方向の動きを表しているとされる。 収束・拡散の動き、開閉も入れると10方向に動いていることとなる。裏・表もこの中に分類される。 緊張(締まる)と弛緩(緩み)をあらわす開閉の動きは「気」の中の〆の字で表している。 「氣」の八方向と対をなすと思われる。 どの角度・方向から身体を見ているか? どの角度・方向から考えているか? どの角度・方向から取り組んでいるのか? どんな物事にも言える。 人は無自覚にもこれらを選択し決定している。 なにか息詰まるとき、うまくいかない時、無自覚にも一つの角度・方向で頑張っていることが多い。 そして、どんどん首はつまり捻じれていく。 その角度をちょっと変え、方向を少しずらすことですーっとなにかが流れていく。 あれだけ頑張っても超えられなかった壁がそうでなくなる。 捻じれることが好きな人はこれに気づけない。 感情の行き詰まりをぱーっと発散できればいいが、八つ当たりとなって当てられた人はかなりの迷惑である。 そのすーーっと流れていく方に快を見つけることができたなら。 そしてちょっとした角度・方向の変え方を体得できたなら、何かが少しづつ動いていくことだろう。 心が何かに囚われ、動いていない時はまずは身体から動かすことをお勧めする。 まずは自分の固定化された観点に気づくことから。

ノロとかロタとか

先週が始まってからなんだか体調が思わしくなった。 仕事を終えて、家族で風呂でも行こうといつもいく秘湯へ。 いつもどおり息子と入り、迷惑をかけたじい様たちにすいませんと上がったまではよかったが、待合室の畳部屋で横になったら動けない。 身体から力が抜けきあがれない。久しぶりにこんな感覚を味わう。 そんな時にも嫁さんと息子は全くの無視で、スタスタ先に行ってしまう。 「こんのやろー」と力を振り絞って何とか起きあがり後を追う。 運転手は当然、私。なんでだ? 家に帰ってからは布団に入り休むことにする。 「あらーホントに疲れてたのね?」だって。まあいいや。 身体を観察すると腰が張り付いて動いてない感じ。特に四番と五番の間がおかしい。 四番に力が集まりすぎて抜けてない感じ。 そういや腰痛で動けなくなり左足が動かなくなったのも大体この季節。 またこの時期がきたか?と先月の京都稽古会で教わった新しい調整の仕方を一通り試して、明日は稽古会だから丁度いいや、稽古で治すことにしようと先に休むことにする。 さて次の日は丁度いいことに稽古会。 色々試してみようと腰椎五本のそれぞれの動きに合わせて「書」を書くという相当ハードな稽古へと展開してしまう。 お陰様で昨日の強張りは消え、重みも取れて元気になった。 しかし、それから白い下痢は止まらない。四番系統が壊れると下痢の症状が出るので納得。 子供の場合なら大変な事態だがこちらは大人だ。 今後、子供の整体指導の時に役に立つかもしれないのでしっかり味わっておくことにする。 食べても食べても全部流れるので絶食することにする。 「白い下痢」でググってみるとロタとかノロウィルスの仕業とある。 去年もこんな目にあったときは午前中は下痢で午後から40近く熱が出たことを思い出した。 そういえば下腹部の奥の方に冷たい感覚がある。去年に比べれば今年は楽だ。 さて、こんなときはどの技法が有効かな?と色々試すことにする。 やっぱり自分の身体を実験台にするのが一番勉強になる。 それが会員さんの為の色々な調整技術や自分の身の整え方の教授に繋がるからだ。 自分の身体で試して有効な事は人の身を整えるのにも有効だ。自信にもつながる。 その奥底の冷たいの感覚にどうすれば到達できるか色々試していると、感覚がぐるぐると動い

十二月、一月の予定

十二月も半ばまで過ぎてしまいましたが、 十二月・一月の予定をお知らせします。 来年から第三週あたりの(土)に整体入門日を設けることにしました。 これから整体の技法を身に付けたい方、生活に役立てたい方等の初心者用コースとなります。 整体に関する講話半分、実習半分の内容となります。 来年からの稽古会の日程につきましては、1、2月は定例通りとなり、3月は第二子出産準備のため、稽古会だけお休みとさせて頂きますのでご了承ください。 個別整体・個別教授については定例通り行います。 個別整体・各稽古会スケジュールは 予約・稽古日程 欄からご覧ください。 稽古内容については 身体塾稽古会 欄をご覧ください。 日程が変更される場合がありますので、こまめにご確認ください。 単発の稽古内容については参加人数、参加者等で決めていますので事前に知りたい方は 右記メールフォームからお問い合わせできます。 ・ 体験者の声 追加しました。 ・リンク先に京都のお宿が追加しました。 会員の方は月に必ず一コマ(二時間)以上、参加してください。

Gracias a la Vida - Por Mercedes Sosa

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Stephane Grappelli & David Grisman - Medley- a) Tzigani; b) Fisztorza; c...

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Stephane Grappelli / David Grisman: Sweet Georgia Brown

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Stephane Grappelli - Tributo to Django Reinhardt (Full álbum)

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Ralph Stanley - Oh Death

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Ralph Stanley - Oh Death

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The Jolly Boys - Rehab

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表現会

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今日は息子の保育園の表現会だった。 今年で二年目、そういや去年は河童にさせられていたが今年はオレンジ色のクレヨンに変身。 この日の為にひと月くらい稽古してきたらしい。 しかし、こんな報告ブログに乗せるくらいだから親バカになったなー。 でも、子供の成長はやっぱり嬉しい。やっぱり載せちゃいますな。ダハハ(笑) 11月後半~の12月はイベントが目白押し。 こ奴の誕生日もあるし、そのまま姪っ子たちとのお正月。 まったく師が走る師走だ。 皆様もあとひと月足らずしっかりといきましょう~。

四世代交流

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ブログの更新が遅くなったが、11月の 第四週位に福 島から祖父母と叔父がやってきた。 地震があったその日。心配して朝早く電話してみると、 「今日お世話になりますからねー」だと。 そんなに大した被害はなかったようだ。 しかし、母方の祖母も含めて四世代が一同に会したことになる。 朝八時に福島を出て、昼の二時には着いていた。運転手は叔父。 あれ?福島ってそんな近かったっけ?どんな運転してきたんだか? 遠藤家はみなスピード狂だと言われるが・・・。 最初は大じじの膝に乗せられた息子は緊張したのかだんまり。 ところが誕生日プレゼントにと三輪車を買ってもらってからはお愛想小僧に変身 。 家の中で乗り回す暴虐ぶり。 「今日は福島のじーじと一緒ー?」とだいぶ慣れた様子。 全く子供の力はすさまじい。 皆そろっての食事の風景 買ってもらったばかりのアンパンマン号 家の中で乗り回す暴走ぶり 大好きな大じじと。すごくうれしそう。 三泊四日の小旅行。 まあ、ひ孫に会いにきたもんだが、あとどれくらいこうやって集まることができるだろう。今回は叔父も一緒だったしね。 息子はみんないなくなるとやっぱり寂しいらしく、「寂しいね。また会おうね」と言っていた。もう少し大きくなった福島に会いに行こうか? 来年には第二子が誕生するからまだまだ死ねない。 長生きすると言っていた。 そうして欲しいもんだ。 生きてるうちに聞きたいことがたくさんある。 なんだかすごくほっとした三泊四日だった。

オカルト話は興味がない

なんだかおかしな日が続くって言うのがある。 とあるお店で久し振りにオーナーさんと話し込む。話はどんどん転回して、物販の話から客層のはなし、共通の知人の話。 「うちにはこんな客層が来るのですよ~」 という話から、なぜか守護霊や憑き物の類いの話へ。 こういった話は慣れっこ。 「え~、見える人なんですか!?」と問われれば、 「なんにも見えませんよ。」と答え。 「整体は基本、見えないものを相手にしてるんですよ、」 と話を誤魔化すのが僕の定石。 基本的に不思議大好き不思議ちゃんは疲れるので相手にしない。が 、憑いた憑かれた、見えた見ないの話もまた興味がない。 生き霊だの前世だのUFOだの宇宙人・地底人だの、空想は生々しい現実とセットなので別に持つのは悪くはないが、このての話もまた話し手によって楽しめたりイラついたりするから不思議だ。 というか、整体稽古者はこの不思議ちゃんが多いのか? まあ、僕もすでに片足突っ込んでるようなものだ。 人の事を言えなかったな。 この日もこういった感じで話を合わせる。 楽しめそうだったからだ。 (うちに来る困ったちゃんは色々なところでしょうもない霊を連れてくる。 毎回無自覚にそれらを引き連れて店に入って来ちゃうから疲れる。 どうしたらいいものか?見たいな事を相談された。) (俺に言われてもな…一体、俺をなんだと思ってんだろう?。 っていうか、お客さん放っといてこんな怪しい話をしてて大丈夫かね? ってなことを思いながら話は進む。) (霊に取りつかれやすい体質なんかないだろう。 どうだっていいはなしでもある。 その人は、ただ八方美人で無防備なだけだ。 霊に対してそうなら、人間の世界でもそうに決まっている。 自分の意見なんかなく、ただ人の言うことに乗っかってるだけだと思う。 霊に対しても愛想振りまいてんだ、と答えた。) それがもの凄く腑に落ちたらしい。 スッキリした顔に変わったので、店を後にした。 それから遅い夕食をと入った友人の店にでもまた霊の話。 (また?そんな霊感高かったっけ!? なんか今日はそんな日なのか?やたらとこんな話が続く。 金沢ってこんな人多いの?自称シャーマンばかり?) 頭は疑問符でい

体幹を使って書く

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昨日は久しぶりの「書」の稽古。 ここ最近の題材は松尾芭蕉「奥の細道」から。 一句選んで細字の稽古。相方はそれに思いついた、七、七をつけるというもの。 まあーいわゆる連句というやつですな。 代わりばんこに相手が書いた句に、連句をつけていく。 昨日はそれに一つ、一つ縛りを入れていく。 例えば、手は封じる。 右手で筆を持たない、足を動かさないといった具合。 そうすることで体幹が動き出す。 と、ここまではいつも通りのやり方。 昨日はそこに動きを細やかに分解していく。 腰の骨、腰椎は五本ある。五本の動きを分解するなら 腰椎一番は上下動、 腰椎二番は左右動、 腰椎三番は捻転動、 腰椎四番は開閉動、 腰椎五番は前後動。 この五つの動きをかきだす文字に変換させていく。 つまり、縦線は上下動、横線は左右動で。払い、はねは捻転動作。 止めは開閉・拡散+収縮の動き。 そして、墨すりの動きは前後動作で行う。 一文字書くだけでも相当身体を使う。 一句書いたらもうへとへと。七、七つけたらもう勘弁してくださいってな感じ。 と、ここまでやってみて、そういえば少し習った居合はこの原理に沿った動きだったといまさらながら気づく。 そうか、だから昔の剣豪は書の達人でもあったのね。宮本武蔵とか山岡鉄舟とかと一人納得。 S先生、不詳の弟子ですいません。 しかし、こんなハードな稽古を4時間やってる東広島稽古場とか各稽古場は一体どうなってんだ。尊敬しますわ。 昨日の稽古はすごく気づきがあった面白い稽古だった。 しばらくこのネタ使えそう。 いやー動いた、動いた。すっきりしましたわい。

舟を出そうよ

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歌詞がいい やなかーぎー紅龍

感受性が働いている

相当な音楽好きな先輩にお薦めの音楽を借りた。 以前聴いた事のあるCDだった。 何回も聴いた事のある音楽、展開が頭の中で想像がつく。懐かしい。 しかし再生ボタンを押して流れて来た音楽はまるで初めて聴いたかのような感覚に陥る。 何故? 何回も聴いたはず。まるで展開が読めない。一音一音の間隔が広い、こんな深みがある音だったろうか?思考が追いつかず音の一つ一つが身体に澄み渡っていく。しばらく余韻に浸っていた。 それからしばらくたってオサレーなカフェでお茶をしていた。いわゆる女子空間であり、オジサンな僕には少し敷居が高い。少したって店内で流れてきたのは先ほどの曲。 この前味わった感動はない。 展開の読めるいつものあの曲。気づけばメロディを追っかけていた。リズムとメロディは幾つもの点と流線形に置き換えられる。 何故だろう?同一のものなのになぜこんなにも聞き応えが変わるのか? 場所が違えば人が違えば印象も感受することもまるで違う。 いつも不思議に思っていた。 この人といればどんな曲も集注して聞ける。ファミレスで食事したって楽しい。 この人といると集注が変わる。この人と酒を飲むとまるで酔わない。この人といると嫌いなタバコの煙も何故か心地よい香りに変わる。居心地のよい空間とそうではない空間。 誰もがそんな経験があるだろう。 人は圧倒的に集注する存在であるという。 どんな行為や行動もそれに先行して観念を形成している。 それはその人の心の問題ではない。観念を形成している感受性の働きだったのだ。 不味いものを旨いと感じるのも、毒を薬に変えるのも感受性の働きである。 世界は完全で私は生かされていると感じたなら、すべての事象は私に同化していく事だろう。世界はねじまがり絶対悪そのものと感じたなら、すべての事象は私に異化されていく事だろう。 しかし、現実はその矛盾する二面性を併せ持っている。 人は無自覚にも何かを感じ取って生きている。 その感じたように変化を産み出している。 それを楽しむか?権力者のようにコントロールしようとするのか? そこに自由が与えられているかのように錯覚している。そこから生まれる競争は我先にと他者を蹴落とすサバイバルになるだろう。 快であろうと不快

連座 その二

京都三日間を終えて予定していたことがなくなったので急遽 西陣稽古場で行われる「連座基礎」に申し込むことにした。 参加枠にはまだ余裕があったのでラッキーだった。 西陣稽古場は初めてだ。最近色々な稽古場に行くことが多い。 いろいろ勉強させられるている。 西陣稽古場の担当者はTさん。 なんだかとても静かな落ち着いた場所。 水面が清らかな波紋一つない朝焼けの湖。そんな情景を思い浮かべるような稽古場だった。 京都の町中は道が狭い、一方通行の道も多くやっぱり金沢に似てる。 ん?金沢が似てるのか? そんな狭い路地裏にこんな静かな場があるとはだれも思いはしないだろう。 ほんとに稽古場によって空気が違う。と思えば通底している何かが共有されていたりもする。 誰かが稽古場スタンプラリーをすればどうか?と言っていたが気持ちはすごくわかる。 僕が独身者であったならそれに乗り出していたかもしれないが、その案は「回り稽古」として採用されることになったらしい。 とにかく連座は二回目、今回は参加者最多の15名、京間14畳?の空間に丁度の人数。 連座は4名一組で進むため、多人数を要する稽古だがこれだけ基本をわかりやすくしている稽古もないのかもしれない。 稽古を進めるにあたって何が難しいかと言えば、僕らの言う感覚や集注というものがいったい何を指しているのか?というところだろう。 一旦、その感覚を身につけてしまえば進化しかないわけだが、初心者にはなかなか内側に集注を向けるというところが分からないのかもしれない。 独りよがりになって思い込みだけ強くなっていってしまう人もいる。それだけ人は自分自身に目を向けたがらない。 連座という枠組みがそれをさせないようにできている 。求められる動作は単純だし、常に二人以上の他者がいるし、一人ひとりの役割が決まっていて、どこに目を向けたらいいか決まっているから 分、わかりやすいしおもしろい。 流れを追っていける目を養っていけば面白さと深みにどんどんはまっていけれるだろう。 以前、Sさんがブランクが空いて稽古の戻り方が分からない時に連座で復活できた、というようなことを仰っていたような気がするが、なるほどと頷けるのが連座だ。 まだ全然、概要しかわかっていないが取り入れたい稽古方法である。 A先生が地方ルールがで

稽古場の可能性考 その1

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京都三日間を終えて帰ってきた。 毎 回楽しいことばかりだが、今回も体調不良もなんのその気づけばあっという間に時は過ぎる。 しかし稽古場とは不思議な場所だな、とつくづく思う。 場所によって雰囲気が全然違う。 今まで行ったことがあるのは本部道場二か所と京都研修所、西成と等持院、白山稽古会に、今回は西陣稽古場にお邪魔することができた。関西方面が圧倒的に多い。 緩いところもあれば開放的な場所もあるが、通底しているのはその場にいると段々と鎮まってくる集注観。 小声でしゃべるのがちょうどいいような、それ以上のものは場の雰囲気を壊してしまう、というか壊したくない。とても清浄で落ち着くところ。それを出発点にガラリと表情を変え一気に賑やかになったりもする。 そのことを誰が教えるでもなく場が教えてくれるというか、自然とそうなってくる。 そこでの作法を学ばなければ入れない。そんなようなところか。 まあ、本来神社・仏閣もそういうものだろう。 そこでの空気を乱すことがなければあとはお構いなし。 そんな懐の深さを感じさせてくれる場所でもある。 稽古場には色々な方が出入りする。老若男女年齢もバラバラ。 様々な職業人の出会いの場でもあったりする。 皆が内側に集中を向けた稽古の合間合間の、休憩時間にくるりと様相を変える。 ある時は皆で談笑を楽しむサロンだったり、そこに通う陶芸家の展示会だったり、それぞれの活動の発信の場でもあり、情報交換も盛んに行われる。 商店街にもなったりもする。下駄屋がいたり、稽古着になる着物屋がいたり、竹細工屋がいたり、 袴の仕立て屋、ホームメイドのジャムやクッキー屋さんがいたりと何ともにぎやかしい。 整体・内観を稽古する仲間が日常品を持ち寄り、それらが行きかう。 市場がたつ。そして、それぞれの手作りの商品や作品には整体の身体技法や思想が生かされている。 ここで行きかう商品のやり取りは一般的な経済思想を根底に置いたものとは全く違うように思える。もっと原始的というか商いや交換経済の原型があるように思える。人間に商品価値を付加した経済思想とは真逆のような空気感。 皆、和気あいあいとやっている。当然空気が動いている。 こういう風景を見ていると、経済が豊かさを生むのではなく、文化という共有されたものが産業を生み、豊かさを伴っ

Louis Collins (Pizza Tapes)

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Jerry Garcia and David Grisman - Friend of the Devil

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Jerry Garcia & David Grisman - Shady Grove

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十一月・十二月の予定

十一月・十二月の予定をお知らせします。 十二月の親子整体塾は三日→十日に変更になります。 個別整体・各稽古会スケジュールは 予約・稽古日程 欄からご覧ください。 稽古内容については 身体塾稽古会 欄をご覧ください。 日程が変更される場合がありますので、こまめにご確認ください。 単発の稽古内容については参加人数、参加者等で決めていますので事前に知りたい方は 右記メールフォームからお問い合わせください。 体験者の声 追加しました。 十一月・十二月は自分の整え方はもちろんですが、いったいここで言う身体感覚とは何を指しているのかを整理してから実習に入りたいと思います。 身体を整理することによって、心も整理されていくことでしょう。 知覚のレベルを上げる様々な取り組み方を紹介して、生活に役立ててほしいと思います。 初めての方は昼の部から参加することをお勧めします。 会員の方は月に必ず一コマ(二時間)以上、参加してください。

違和感

この間、テレビでヒップホップダンサーで有名な人の動きを見た。 いわゆるキレッキレッな動き。 骨から動いている感じ。重力もものともしない。軽やかに舞っている。 すごく男らしい動きだ。 世界的にもこれだけのダンサーはいないんじゃなかろうか? しかし、なんというか顔つきは少し険しい、触れると爆発しそうな恐さがある。 ビックリしたのは彼だと思っていたら彼女だった。 彼女はチームのリーダーでもあり、ソロでも圧倒的だが、チームプレーもまたいい。こんな人物がいたのか、と嬉しくなった。彼女を目指してダンスを習いだした子供達は多いらしい。 皆、凄く上手だから驚いた。 ヒップホップやブレイクダンスは骨の動きだ。日本の動法と相性がいいように思う。うちの子供もテレビを見ながら動き出した。 彼女の顔つきが険しい訳は番組の後半でわかった。いわゆる苦労をした人なのだ。ダンスにかける気持ちも本物だろう。インタビュアーの質問がいいのだろう。彼女の練習するスタジオでの会話は終始いい話が続いた。 番組の終わりかけで状況は変わった。 日本の伝統文化を紹介したいと、お寺でヒップホップダンスを踊る場面に切り替わった。これぐらい今や見慣れた光景になっているから別に普通だと思うのだが、爆音で仏の前で激しく踊る姿に何故か違和感を覚えた。 なんなんだろうな?この違和感は。 混ざり合わないもの同士を、無理矢理混ぜあわせている感じ。風景とミスマッチな違和感。 以前、鹿島神宮の境内で爆音でブレイクダンスをしている中国人達にも同じものを感じたが、神社に積み上げられた静けさがどんどん破壊されていく悲しさ・危機感とでも言ったらいいのか?その積み上げたもの、文化を踏みにじっている鈍感さとでもいうのか? 個人的には神社・仏閣は心静かに詣りたい。 そりゃ年に何回かの祭りや個人的に許しを得て借りている、とかならなんの違和感も感じないし、別に意見するところでもないのだが、場に合ってない気がするのは僕だけなんだろうか? 伝統文化を紹介したいなら、そのお寺で参禅でもしたらどうだろうか? そこに自分のものを持ち込まなくてもいいんではないかな? 自分のダンスに向ける集注と分けて、参禅やあるいはそこで生活してみてダンスの世

道具を選ぶ

武術でも整体の稽古でも、道具を選ぶときはスッキリした馴染むものを選びなさいと教えられた。 スッキリしたものとは気が澄んでいるもの、清らかなもの。 馴染むものとは身体がはっきりと見えてくるものである。 特に武器を選ぶときは少しでも違和感の感じるものは、相手にも自分にも怪我をさせるので、清らかなものを選べ、特に刃物類は慎重に選ぶべしと教えられた。 いわゆる「残留思念」というのが残っているからだろう。 馴染むものを探すときには、よく骨董屋や古着の着物屋に足を運び触らせてもらったものだ。 中世時代の能や武術、禅などによって練られた身体感覚を学ぶため、足しげく骨董やに通い、珠洲焼の壺に古九谷焼のとっくり。備前焼の抹茶茶碗。 色々触って腹、腰を知覚する稽古に役立てたものだ。 絹の長襦袢を何枚か買ってきて寝巻きにして、寝ている時も内観の稽古したりもした。 いわゆる睡眠学習です。 中には少し怖いものや羽織ってみると胸がつまるものや身体が嫌に重たく感じるものもあった。 そういう物は価値が高くとも身に付けない方がよい、場所選びでもそうである。 知覚の領域が拡大してくると、別に古いものだろうと新しいものだろうと何かしら感じ取れるようになる。それこそ形のない音楽やダンス、と領域は拡大してくる。機械的に作られたものやデザインであっても何かしらのものは感じ取れる。 日用品のものから練習していくといいだろう。気を付けなくてはいけないのは、刃物類や針だ。思いが籠りすぎている。だから針供養なんて習慣があったのだろう。 特に一度使った真剣というのはなんだか生々しくて、受け付けがたいのだ。 しかし、そこは除けば数多の豊穣なる身体感覚の世界がそこにはあった。なんとも細やかで深遠なる世界だ。過去の世界には戻れないし、その必要もないが、古典の世界からは学ぶことがたくさんある。 一度お試しあれ。

結婚式

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昨日は友達の結婚式に参列してきました。   朝早く起きて琵琶湖を横目にサンダーバードで。 いつも京都研修三日間を終えた後に冷やかして帰る。かず君&萌ちゃん夫妻 なぜか会場にはヤギが!? 会場は古民家を改装したマクロビレストラン 新郎&新婦入場!! 二人ともホテルマン経験者なのでか外人多し 偽神父!?の下で愛を誓う二人 子供たちも二人を祝福 ひなたちゃんという女の子がいて、名前を呼ばれるたびにドキリとしました  引き気味な新婦と強引な新郎!? いいニヤケ顔やな ツリーハウスの下で踊りまくる新婦  ドレスのまま踊ってるのはすごいな 最後はケーキ入刀!! 二人の門出にふさわしいいい結婚式でした。 独り県外からでアウェーな空気かと思いきや、かずくん家の方たちに迎入れられ京都駅まで送ってもらっちゃいました。感謝。 これから宿も始める二人。宿の名前は「京都 KNOT vacation」 knotには結ぶという意味が込められているみたいですね。 京都には行った際にはぜひ立ち寄ってみてください。 ほんとうにおめでとう!!また冷やかしに行きまっせ。