投稿

1月, 2017の投稿を表示しています

Tehillim - Steve Reich - Insomnio & Synergy Vocals olv. Ulrich Pöhl

イメージ

摺り足

イメージ
昨日はあたり一面雪真っ白。 と思ったら今日は快晴。雪が解けて地面がグチャグチャ。 前にも書いたが雪が降り積もると暖かく感じるのはなぜだろう。 雨が降っている方が冷たく感じる。 金沢はべた雪なので深夜には路面がつるつるに凍る。 それをこちらの方言ではきんかんなまなまという。 なんでそういうかはまったくわからない。 こうなってくると皆足元に気を払い、そろりそろりとあるくようになる。 習ってもいないのにすり足になって歩いている。 滑らないようにつま先に気を払い歩くと膝や股関節までロックされるので、かえって怪我のもととなる。 それよりも足裏・踵が地面すれすれに滑るように動くと、体幹は緩み疲れない。 重心が腰まで落ち、捻らないので泌尿器も丈夫になってくる。 環境に適しようとした結果、身体の使い方を新しくそれに合わせる。 習ってもないことなのに身体の内側から動きが出てくる。それが本当に不思議だ。 それらが箸の使い方や子供の歩き方・座り方にまで継承され、それらを各種武術の型や作法等に体系化され残されている。 日本人の知恵の奥深さといえるだろう。 ネイティブ・アメリカンにも「スライド」と呼ばれる、すり足によく似た歩法があるらしい。 一度見てみたいものだ。 このすり足のルーツは田んぼなどの作業時、田下駄などを履いて水面を滑る足の使い方から きていると聞いたことがあるが諸説ある。 雪国などの路面が凍ったところを歩く際の使い方からきているのもあるだろう。 普段重心が高い、いわゆる胸を沿って歩いているような女性もしっかりと重心を落とし、 歩くようになる。 そう見ていくと現代のあらゆる歩法・ウォーキングは皆重心を胸にもってきて膝を伸ばして歩くやり方が主流だが、都会や整備された町での歩法。冬を除いた季節限定での歩き方と言える。 坂道やでこぼこ道、山を練り歩く際などは重心を腰まで下ろし、膝を屈曲しないと歩けないので、 環境に合わせて歩き方が変わっていくのが自然だ。用途に合わせて履物を変えている。その種類を見てみればよくわかる。 そういう歩法のヴァリエーションを豊かに持っているといいと思う。それが望ましい。 以前、剣道を習っていた人は前と後ろの動きしかないので身体を傾ける動きができなく、 運動会のリレーの時にグラウンドを一周しようと

一服

イメージ
まずは抹茶を一服。 結構なお手前でございました。 うーん、茶筅さばきは難しい。

Steve Reich - Violin Fase - Violin Phase (HQ)

イメージ
非反復性その二

Six Marimbas - Steve Reich

イメージ
非反復性

稽古着探し

仕事着が着物なので必然的に着物屋に通うこととなる。 金沢にも調べてみるとたくさんの着物屋がある。 昨今の観光ブームで着物を扱う職種や商いも増えたことだろう。 レンタル着物で茶野外を練り歩くなんていう遊びも定着しつつあるし、 着物で歩いている人が増えたのは素直に嬉しい。 着物を通して知ることのできる日本の古典的世界や日常や伝統芸能などの世界はとても面白く、整体を習い出してからその世界が少しづつ身近になりつつある。 仕事着は野袴に長着、羽織に足袋というのが定番スタイル。どこの着物屋に行っても、当然、男性物は少なくあっても紬や小紋やよそいき。 少し敷居が高いきもの屋は値段もそこそこ。 稽古着には少し向かなく木綿や麻、絣などが丁度いいがなかなかない。 ましてや丈は野袴に隠れるのでいいが、裄が合わないものばかり。 もっと日常着にきれるようなのがベストなんだが、なかなか稽古着に合うようなの巡り会わない。 女性ものはどこに行ってもたくさんあるので、あまり悩むことはないだろう。 まあ、これもまたご縁だ。 そのわりには稽古着に向くようないいものに巡り会え、そういったものを選ぶのが上手な目利きの効く着物屋さんにも巡り会えた。 和裁のできる人も身近に見つけることができたので、野袴の仕立て問題はクリア。 運がいいのかもしれない。 今日も一軒新しい着物屋さんを見つけたので行ってみた。 いい足袋があったので頂戴することにした。 大島紡ぎなどを出してくれたので羽織ってみた、稽古着には向かないがやっぱり佳い。 そのお店とても安く気付けを教えてくれるので、僕とこの稽古者に進めることにしよう。女性にオススメ。 稽古着の気付けは男の着方をベースにしているので、さらっと日常着に着れる着方なので良いのだが、女性が着付ける場合はそれと平行してちゃんとした気付けを習ってから、そこから自分なりの着付け方や着崩しかたを勉強していくといいと思う。 もっと着物の世界を楽しめると思う。 それに着付けを知っていると子供の入学式等にいかせれるし、今後そういう行事毎にも何かと役立つ。 そういえば、そんな着物ライフを面白おかしく紹介している漫画を見つけたんだった。確か『でしにっき』という漫画でウェブ上で公開しているものだっ

虫の音

聞いた話によると、全世界の民族の中でも虫の鳴き声に情緒を感じるのは、世界広しと言えども日本人とポリネシア人だけだそうだ。 西洋人には虫の鳴き声を機械音や騒音のように処理してしまうらしい。 ある学者が海外での講演会で訪れたとき、会場では虫の鳴き声がひどく聞こえていたらしいが、同席していた現地の人には全く聞こえなかったらしい。 最初は自分の方が気が狂ったのかと疑ったらしいが、一週間ほど一緒に生活した後、確かに虫の声が聞こえる、とわかった男性もいたが、だからどうしたといった感じで、そこには何の情緒も感じ取れなかったらしい。 これはいわゆる脳の構造の違い、右脳と左脳での情報処理の違いと言われて来たわけだ。 それは日本人は欧米人と比べて自然音や音楽や言語を処理するところが違い、それが日本語を母語とする脳の構造の違いを生む。 それがTPPの障壁ともとられ、早いうちから英語教育をという流れや海外留学だったのだが、最近ではそう考えないらしい。 いわゆる日系人でも母語を喋って会話している人はこの虫の鳴き声を音楽と認識でき、日系人でも英語などを母語にしていると虫の鳴き声は聞こえない。聞こえても騒音として処理する。 同じアジア人種でもそうらしく、韓国語や中国語でも英語脳と同じ構造になるとされている。 日本語の母音を母語にするかしないかで、この虫の鳴き声や自然の音を音楽ととらえれるかが決定されると言うのだ。 喋る言葉の違いが脳の扱い方を変えて、情報処理の仕方が変わるというのは、文化の違いがベースになる感受性を変えていくのだ、と言ってもいいかもしれない。 脳の構造の話ではない、それ以前の話と言うことだ。 確かに僕らの文化には虫の音が頻繁に登場する。 古くは万葉集。鈴虫の歌なんてのもある。 対して英語圏では虫はインセクトやバグスと言ってこれは虫けらという少しネガティブな意味が含まれるらしい。 僕が思うに英語圏は視覚認識の文化、日本は聴覚認識から発展した文化だと思う。 言語は意味よりも音、その響きを重要視する文化。 近代はその流れを汲んで何でも目に見える形に文明を発展してきたと言ってもいいかもしれない。 視覚刺激のデジタルアートや目に見えない働きを数字や画像に置き換えて考えてきた文化だ。いや、文化と文明の違

「聲」

聲を稽古するとはどういうことだろう。 自分で企画しといて、はて?と考えることとなってしまった。 まあ、いつものことといえばそうなんだが。 今年に入ってから稽古会の一コマ(二時間)ごとにテーマを設けてやっていこうと企んでいる。 この時間は「これ」、この時間は「あれ」といった具合。 あまり一つの時間にあれもこれもと幅広く稽古するよりは、今日は脱力をやる。 今日は行気法といった具合に的を絞ってやった方が実生活に生かしやすい。 その方がこちらもどのくらいの理解の範囲なのかということがわかりやすく、整理されていく感じがしている。 一つ一つのピースが埋まっていき大きなパズルが完成するかのよう。 それが整体以外のジャンルにも繋がるから本当に面白いものだ。 なんてことを考えながら今日は「聲と息のおこり」と自ら銘打った稽古をすることとなった。 ヴォイスワークショップなるものは数あれど、声の出し方に特化するのではなく、 その自らの聲を使って内側に目を向けて身を整える。そんなことをやりたい。 そういう他流派の技法もあるだろうが、ここでしか学べないことをやりたい、 という思いで相変わらずの見切り発車となる。 冒頭は聞くという集注の話から日本語の言語体系は視覚認識ではなく聴覚認識の話から、 虫の音の情緒の話へと結び、自分のつたないバンド・ヴォーカルの経験へと話は飛び、 以前から疑問だったなぜ耳が遠くなると気配に疎くなるのかを持論で説き伏せ、そこからやっとこさ実習に入る運びとなった。 以前山奥の旅館で住み込みのバイトをしているときに夜中することが、なにもないので近くの滝まで行き、滝の音よりでかい声が出せれば声量は上がるはずだと、練習していた時がある。 その時の気づきをもとに稽古を組み立てることにした。 まずは基本練習の「あかさたなはまやらわ」を永遠唱える。 最初は歌謡曲や演歌、浪曲のような声の出し方が段々と沈みがかかり、謡や文楽のような お経や祝詞のような声の出し方に変わっていく、腹を使うと声の出し方は全然変わるという事を実感してもらう。 その声の伝わり方で体の中の見える世界はどんどん変わる。 これは現代仮名遣いと旧仮名遣いの違いでもある。 現代人は重心が上の方にあり上ずった声になりやすい。とかく若い女性の多くは無理に

書初め

イメージ
今年の稽古は書初めからスタート。 計、三日間すべて書の稽古。 参加者の皆さんはヒイヒイ言いながらもついてくる。 しかし、コツをつかむと段々それらしい動きと字になっていくから面白い。 テーマは去年年末からのもので、利き手を封じ腰の五つの動きを分解して「書」を書くというもの。 縦線、横線、はらい、はね、止めなどを対応する腰の動きに合わせて行うというもの。 準備運動に時間をかけ、本番に新年の抱負を書いてもらうが、好きな言葉を選んで書いている人もいた。 五つの動きの中のどれが苦手で得意かが段々と見えてくる。 それを体癖論にあてはめていくと、自分が今どこで止めっているかが見えてくる。 そんな稽古になったように思う。 僕も色々書いては見たが、新年の抱負となるとなかなか思いつかない。 四字熟語辞典などを開くが、少し何かが違う 。自分のボキャブラリーの低さに呆れるが、 来年は新年の抱負辞典なるものでも買おうか?jと頭を悩ますが、そんなもんあるんだろうか? 一年書き溜めた半紙の束を見れば太く勢いのある字にこそなったが丁寧さが足りない。 何とか読めるが、今年の課題はここかな。やはりもっと技術もあげたい。 そろそろ利き手で書いてみようかしら。 しかし普段の稽古でもそうだが、腰の割稽古を行うとまず眠れない。 寝てもすぐに目が覚める。 次の日すこぶる元気。元気すぎて自分に振り回されている感じが否めない。 腰は要というが、覚醒の器だと実感する。 面白いのは次の日、目が覚めると頭が爆発して髪の毛が逆立っていることだ。 これは腰の稽古をしたみんなが経験するから面白い。 さあ、というわけで今年も始まるわけだがなかなか幸先良いスタートだったようにおもう。 今年もどうなることやら。

初詣

イメージ
初詣。 ほんとは白山さんに行きたいが、あまりの混雑に断念。 白山さんは左義長の日に行こうと思い、初詣は近所の春日神社へ。 時々、篠笛が聞こえる素敵な神社で初パシャリ。 やっぱり正月は和装がいい。 息子が来ているのは七五三のときのロンパース風の羽織・袴にポロのハリーポッター風マント。 妻と息子の写真だけ取って親子三人の写真を忘れてしまった。 今度の左義長の時は親子三人和装にしよう。

2017年 1月・2月の予定

一月・二月の予定をお知らせします。 本年から第三週あたりの(土)に整体入門日を設けることにしました。 これから整体の技法を身に付けたい方、生活に役立てたい方等の初心者用コースとなります。 整体に関する講話半分、実習半分の内容となります。 来年からの稽古会の日程につきましては、1、2月は定例通りとなり、3月は第二子出産準備のため、稽古会だけお休みとさせて頂きますのでご了承ください。 個別整体・個別教授については定例通り行います。 個別整体・各稽古会スケジュールは 予約・稽古日程 欄を。 稽古内容については 身体塾稽古会 欄をご参考ください。 日程が変更される場合がありますので、こまめにご確認ください。 単発の稽古内容については参加人数、参加者等で決めていますので事前に知りたい方は 右記メールフォームからお問い合わせできます。 ・ 体験者の声 追加しました。 会員の方は月に必ず一コマ(二時間)以上、参加してください。

新年

イメージ
あけましておめでとうございます。 今年も始まりました。 年末のドタバタを過ぎてのんびりと過ごしておりました。 なんだかずっと食べては寝ての繰り返しだったような・・・。 一月二日は妻の実家へ 酒を勧められても禁酒中で飲めず、親戚や久々に会う友人たちに驚かれ、 「飲み会いっても酒しか飲まなかったお前が禁酒?」とさんざん突っ込まれての正月となりました。 「お酒を飲んでいるときにやたら絡まれるな、と思っていたらこちらが絡んでいたのね?ときづいてからお酒はやめました。」 の説明は一同納得の様子。 なんでやねん!!の一人突っ込みも虚しく、 姪っ子たちにお年玉も配り終え少し懐が寂しい年明けでございます。 さて、我が家では恒例の辻占 今年はあたりどし 福がまいこむ うわさが高い となりました。 さあ、今年もどうなるやら楽しみですね。 今年もよろしくお願いいたします。