身体はみな違う

電話での相談や出先などで身体の話になると決まってこういった質問が飛び出す。

~~が悪いのでどうしたらいいのか?といった質問である。


そういった方には個別指導の時に教えます、と答えるようにしていると何故かがっかりされる人がいる。

これがお弟子さんや整体指導を受けてる人達、身体を見たことある方にはこちらの言ってることがわかるし、ある程度できるから別に問題ないし質問の内容も深いから伝えていて楽しいのだが、初心者や整体を知らない人にはとても答えにくい。

自分で治そうとすることは素晴らしいので質問には答えたいのだが、身体はみな違うのだ。
同じ腰痛や病名が付いた症状でも成り立ちが全く違うので、この人にはこういったやり方がよいが、この人には違ったやり方が合うという事なので、何度かじっくり身体を見てみないとこの人に合った今のやり方は見つからないのである。

それに今はこのやり方でよいが二週後にはまた変わる、
という事もあるので時間も含めて観察しないと今のこの人にピッタリ合った処置というのは伝えにくい。

一律に、触ってもみないでこれさえやっておけば大丈夫なんていい加減なことは言えないのである。
その人の身体の癖が分かっていればある程度は伝えれるが、
そんな万能な方法はあっても個々に違うし、身体は見る度に変わるからその都度その都度新しいやり方を即興的に生み出して分かったことを伝えるのが整体指導だと思うのだ。
各種治療やマッサージも身体を触って感じたことを伝えるのでこれらもまた同じ。


病人というのは一刻も早く症状を取り去りたいので、何でもかんでもやりたがる人もいるが、どれがその人の”今”にピッタリかはわからない。というかそれが分かるようになるのが病気療養中のいいところなんだが、皆そんな風には考えられない。

言葉で聞いて頭は納得しても実感が伴わない。
色々ためしすぎてこじれていく人は結構います。
治療師を絶対的にしてお任せした結果、何も変わらない人もたくさん見た。
業界用語では山手線患者やグラスホッパーともやや嘲笑的に呼ばれているときさえあるが信頼関係が結ばれていない時にそうなるのだろう。


たぶん、皆同じ身体だという思い込みが余計に思考をもこじらせている場合もあるし、
全部治療師や医者まかせという患者側の依存的な態度や、あるいは治療師側が絶対的な権威をもって患者を自立させない場合もあるのだろう。


とにかく聞きたがるが聞いただけでは納得は生まれても転回は生まれません。
話を聞いてもらえれば安心はできると思うが、気持ちだけでは身体は変わらない。
どちらかが一方通行な関係ではサービス的な気持ちよさは生まれても精神にしか作用しないし身体は変わらない。
互いの思いが混ざり合い身体を変えていく。



その人が身体を本気で変えたいと思っているなら、脳内の出来事で終わらせることなく
実際の経験として受け止めていったらよいと思います。

やらないと変わりませんし言葉だけではわからないことがいっぱいあるでしょうね。
それに触れていく事がとても面白いし自分の伸びしろを発見していく事に繋がるのだ。

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