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7月, 2016の投稿を表示しています

八月の予定

八月の予定をお知らせします。 個別整体・各稽古会スケジュールは 予約・稽古日程 欄からご覧ください。 八月後半予定がまだ立っていませんが、詳細がわかり次第、掲載いたします。 稽古内容については 身体塾稽古会 欄をご覧ください。 蝉もなきはじめ夏本番といったところでしょうか? しかし、旧暦を確認すると晩夏とあり、今から秋に向かうわけです。 そう思って生活していると暑さに向かうものより、冷えに向かうものが重要になってきます。 クーラーなどの冷害が浮き彫りになってくるわけです。 温浴、シャワー温法などでこまめに冷えを取ることをお勧めします。 この時期は一旦、かいた汗が引っ込んで身体の不調を引き起こしますので。 寝る前に身体を感じ触ってみると、温かいところと冷えているところの差が大きいとわかるでしょう。 小さなお子様がおられる方は、こういった観察が子供との信頼関係を結びますので是非やっておいてください。 夏の稽古は ・しっかりと身体づくりをして、汗をかける様になること。 ・自分の感覚している空間把握をしること。 ・身体の中の冷暖自知。 を目指していきましょう。

観能の夕べ

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明日は能楽堂で観能の夕べが行われます。江野さんが出られるようですよ。 会場は6時半からです。 追記 見てきました。観能の夕べ 能楽堂にはいい集注の場ができていました。 演目は龍田。 美意識、それを感じる感受性こそが人の生きる力となっている。 神や精霊と通じる意識こそが美意識である。それなくしては神との世界を断絶してしまう、 というような内容と受け取りました。解説もわかりやすくいい演目でした。 結構若い人も来ていて満員御礼でした。 笛の音がよかったです。一つの風景が現れては消え、また現れといった感じで終わった後もしばらく、余韻に浸っていたいほどでした。(本人的には調子が悪かったらしいですが) 出演者が帰っていくときに皆が拍手がおこり、あれれ、と思い、帰ってからお能鑑賞のマナーを調べたら、やっぱり拍手はお控えくださいとのこと。 しばらく余韻に浸ってほしいのでしょうね。 それくらい出演者は集注してやっているという事でしょうか? やはり能は神事だと思いました。 いい夜でした。 観能の夕べは8月いっぱいまで上演されています。 個人的に気になる演目は「巴」ですね。 だんだん見方が分かってくると楽しいもんですね。

具体的にどうするの?

最近、第一子が生まれたばかりの若い夫婦が来られた。 育児相談か産後の調整が希望なのかと思ったがそうでもないらしい。 ただ、話を伺っていると家族に薬は飲ませたくないし、自分も現代医療にはかかりたくないらしい。 こういった若い人たちが最近増えてきている気がする。 現代医療の方向性が見えない、ワクチンの弊害など、頭を悩ます母親は多い。それだけでなく人と人との関係性がどうも希薄に感じてしまうのは僕だけではないのだろう。皆の共通する思いになってきているのだろうか。 自分の親世代がリタイアし、薬を飲み続け、自分の世話を医療に任せきった果てが老人ホームでの孤独死。 その姿、生き様に憧れられない、見ていて辛い、過剰な医療信仰が共感できない。 と、言うようなことが節々に出てくる出てくる。 無理もないだろう。人の生きざま、死にざまがとても見えにくい時代だ。 だから自分で創造していく楽しみがあるのだが、其れを生み出すには僕らにはまだまだ経験がないのかもしれない。 そのせいか、いわゆる自然派志向の人たちがちょくちょく訪れるようになってきた。 大きいフレームでとらえれば僕のやってることなんかもそういう文脈でとらえることができるのだろう。叔父は自給自足の実践者だし、僕は小さいころからいわゆる食育(無添 加、無農薬)のものを取るよう教えられてきた。 (コカ・コーラは飲みたかったし、どぎつい色したお菓子もたくさん食べたかった。) それ自体は全然いいと思うのだが、みな理想は語るのだが具体策がないように感じる。 薬を飲みたくない、病院に行かない、山で暮らしたい、自分でなんとかしたい。 そう決断できることは素晴らしいと思うし共感できるのだが、それは理想だ。 その理想に近づけるために何をするのか。 そこが抜け落ちてるような気がしてならない。 この若い夫婦たちはどうやってかわいい幼子なり、自分のわが身を守るのだろうか? いや具体策はあるのだが、これは安全だから、流行っているから、理屈に合っているからという思い込 みが先行して、何も感じ取れていないような気がする。 結果にこだわり、どういう過程を経ればそこに到達できるかの視点が欠落しているような気がしてならない。 目的の為に自分で何かを成し遂げようとした人たちは、無自覚でも自分に訓練を課すだ

転回

ここに来て急な転回。 どうやら、人生の山場?と言うかなんと言うか。 転機、ターニングポイントと語る言葉は数多くあれど、おっとそうきたか?ってな感じの流れ。 八月にそのピークを迎えるであろうこの不思議な転回。 早く過ぎ去ればいいと思ってはいたが、なんだかそれだけではすまされないような… この流れ、どうやらその後も継続していきそうな予感。 こういうときっていつも全て重なってやってくる。 なんだか即興的につくっていかなけゃいけないというか、機転を試されるというかぶっつけ本番。 どんぶりに肉も魚も乗っていてケチャップにチリソースに醤油で味付けしてあるような。 それを食べているときは真夏なのに雪が降っていて、雷がなって野外フェスに来てるのに、そこでお茶を一服頂いているようなごちゃ混ぜ感(なんじゃそりゃ)。 いや、違うな。 サーフィンしながら、サーフボードの上でパソコン開いてワード文書作成しながら、なおかつ刀振り回してるような、そんな感じ。 というか、そんな話はどうでもいいか。 なのに心は遂にきたか。と迎え撃つ気満々。という変わった心境。 まあ、いつでもやるしかない。 やって見ないとわからないといった感じ。 こういう時って自分でも知らない自分の部分に気づかされる。 そんな話を年配の会員さんにと話していたら、人によっては何年もかけて準備する人もいるし、色々なパターンの波があるもんだという話になる。 しかし予測不能の転機に立たされて人はその本領発揮を試される。その追い込みがその人を新たなステージに持ち上げていく。それが整うということでもあるんでしょうね。 なんてことを言いながら自分でも再確認。 しかし、その人には具体的にどんな事が起きるか知らせていないのに、 「師匠が迎えるであろう転回を弟子は全力で応援しますし、無事、通過できることを祈っております。」 と手を合わせてくださった。 その心遣いと言葉のかけ方、人の思いの在りがたさに自然と頭が下がった。 そして、少し気恥ずかしい思いもした。 この人は人の苦労も自分の苦労もしっかり見てきた人なのだろう。 だから、何も言わなくても自然と人に寄り添えるのだ。 救われた。気が通じ合う人との関わりは

火傷

先週、息子の保育園の盆踊りを終え、興奮冷めやらぬ息子が持ってきたのは お土産にと持たしてくれた小さな花火。 「花火しますよー」 満面のご様子 しょうがないなーと重い腰を上げて、家族三人で今年初花火。 ろうそくが見つからないので直接、ライターで火をつけていたら、 終わり掛けにやってしまった。 火薬が火を伝って飛び散り親指の上にポトッと落ちる。 慌てて振り払うも時すでに遅し、火傷してしまった。 あーあ、何やってんだー、でも息子じゃなくてよかったよなーと少し安堵したが、 親指はすぐさま腫れ上がってきて、第二関節が曲がらない。 まいったなー明日の仕事どうなるかなーとすこし不安になるが、気を取り直してまずは親指を内観してみる。 だめだ、集注するとなおさらヒリヒリ痛みが増す。この内観じゃだめだとつぎは散らす集注に変えるといくらかまし。 こういう時ってどうするんだっけ?と少し考える。 稽古仲間の文豪Kさんはお茶の稽古中に鉄釜触って火傷して、その鉄釜に何回か触れなおしていたら傷の治りが早かったという記事を書いていたっけなー、と整体のセオリーで考えると温める。 カイロプラクティックやってた頃は急性の炎症は冷やすようにしていたな、と思い出し。 内観してからどちらがいいだろう、と判断をゆだねることにした。 どうやら、冷やす方が受け入れられるような感じがするので、まずは冷やすことにした。 内観しながら冷やしていると痛みが消えていく。やっぱりこっちが正解だったかな、と何回か繰り返していると 急にまた痛みが増して感覚が変わってきた。 今だったらお湯の方が受け入れられるような気がするので、風呂に入って直接温めることにしたら、 だんだん慣れてきて痛みが治まってきた。 さっきまで強張っていた親指の第二関節も動くようになった。 これで明日は問題なさそう。 次の日起きるとぷっくり水を含んで白くなった親指がありました。 その次の日には水も抜け、しわしわになった白い皮がついていた。 ここまで来ればもう問題なさそう。 やっぱり花火はろうそくやチャッカマンを使って火をつけないとだめですね。 油断大敵でした。 火を舐めてました。 皆様も火の扱いには気を付けましょう。

無我の音

この間、官邸前のデモで有名なSEALDSという若者団体がフジロックに出演するらしく、「音楽に政治を持ち込むな」と炎上騒ぎになっていたらしい。 フジロックではしばらくの間、整体関係の仕事していたし、 あるステージではずっとNGO団体の方たちがスピーチなり、宣伝をしていたので、 ”いや、フジロックってそういうもんじゃん、充分政治的な祭りなんだけどなー?。” と思っていた。 それにブルースにしても、ロックにしても反体制から生まれてきてるし、帝政ロシア時代に禁止されたのは詩と音楽、民衆が熱狂的になるのを恐れ、それを禁止するのは時の権力者の常套手段であるし、 どこの国の音楽をとってもおおよそそういう歴史がある。 ”なんだ、音楽ってもともと政治的じゃないか?なにを言ってんだ、その人の色眼鏡なんじゃないか?”と 思っていたのだが、 ふと、じゃあ政治的じゃない音楽って何なんだ?と考えた。 なんの主義・主張も感じさせない音楽?。 ただひたすらその音になり染まるとでもいったらいいのか。 響きそのもの。そういう音楽。 ということを考えたら、音楽に主義・主張はつきものだ、というそういう文脈でしか音楽をとらえていないことに気づかされてしまった。 結局このアーティストはいいとか、このジャンルはこれこれこういう歴史があってとか、いろいろ喋れる知識はあるがアウトラインしかわかっていないのではないか? 自分の主義・主張に近いことを言ってるアーティストを選り好みし、識別していただけだったのだ。それを表現だと思い、そういうものを求めていたのかもしれない。 しかし、その人の音を聞いていると、ある風景が見えてくる。そんな音楽もある。 それは確かに政治的じゃない、押しつけがましくない、理屈っぽくもない音楽だ。 主義・主張以前の音楽とはこういうものだろうか? 喜びや楽しみや様々な情感を伴って生まれた音楽はいつしか理論武装し、”ワレ”を表現することを当たり前としていくのか? だとしたらそれ以前の音楽とはどういうものなのだろう? 我を忘れられる、言ってみれば忘我の音とでも言ったらよいのか。 悲しみも喜びも今自分がとらわれていることを、きれいすっぱり忘れさせてくれる、無になるそんな音楽。 フリージャズが生まれたバックボーンにはタオイズムを音で表した

雨に降られて

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雨に降られた。 まずい、傘もってきていない。 灰色の空を見上げればポツポツと雨が落ちてきて、顔に心地よい刺激が当たる。 最近は息子を連れての夜のお散歩が日課。 寝る前のちょっとした冒険がお気に入りらしい。 「パパ、今日もお散歩にいくでしょー?」 「お散歩、お散歩。」 風呂から上がって上気した身体を冷ましたいのか。 じゃあ風呂上がりのジュースでも買いに行こうかと、近くのコンビニへ。 真っ暗な夜道は車が危ない、しっかりと手を握っての夜のお散歩。 車が来るたびに、 「あー危ない!」としっかりと気を付けている様子。 しかし、そのあとにブーっと唾を吐くのは何なんだ?だれの真似だ? 頼むからそのまま大人にならないでくれ!息子よ。 父ちゃんの心配をよそに水たまりを見つけてはバシャバシャと長靴を踏み込み歌を歌ってご機嫌な様子。 やっとこさコンビニについて買い物を済ませて外に出たら、あ、雨だ。 ポツっポツっと小さな雨粒が顔に当たる。 早く帰ろうと速足で家に向かうと、途中から本格的に降ってくる。 あっという間に雨音がザーザー、どしゃぶりに変わる。 あっという間にずぶぬれな二人。 大変だ、早く家に帰ろうと息子をおぶって走り出した。 しかし、息子はと言えば、「あー雨ー気持ちいいねー」と、 僕の背中でケタケタケタケタ笑っている。 はっとした。 いつから雨が嫌いになってたんだろう? 僕にとっての雨はただ衣服を濡らす想定外の嫌なものでしかなかった。 息子にとっての雨は想定外の楽しいできごとだった。 こうやって彼の中で、どんなことでも迎入れていく、生きる力が形作られていくかも知れない。 雨に出会った、その経験が生きる力となって蓄えられていく。 雨に触れて触れられてその経験を追い求めて、彼の中の元気が表に飛び出してくる。 芸術家はその”なにか”に出会った経験を絵にするという。 音楽家はその”なにか”に出会った経験を歌にするという。 この何かに出会う・感じとることを感受性と言うのだ。 僕らはこの経験をなににしようか? そんなことを考えて息子を背中から下して、ずぶねれで帰ることにした。 僕らは理屈で考えることにはなれてはいるが、理屈を生み出すことには慣れていない。 考えることは得

七夕

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今日は七夕 というわけで会員の皆様に本気の願い事を書いてもらいました。 間に合わなかった人はまた来年。 やっぱり健康関連の願い事が目につきますね。 来年はそんなことも乗り越えて、さらなる願い事が出てくるのを楽しみにしております。 健康は自分でなれますし、健康法や養生が必要だと思っているうちは それに執着しているということですからね。 もっと内側に目を向けてみましょう。 おっと今日はここまで、また来年やりましょう。

誰だろう?

新しくブログを引っ越ししたらなかなかの高性能。 前と比べてかなり使い勝手がよい。 カレンダー表示できるし、予約・稽古日程のお知らせがかなり楽になった。 統計表示もできるので、どの検索エンジンを使ったか、どの記事が読まれているか?どこの国の人が見ているかまで見えてしまう。 グーグル恐るべし! というわけでついつい一日の終わりに見てしまう。 国別にまとめると日本、アメリカ、フランス、ドイツ、チュニジアと続く。 なんでだ?うちっていつからグローバル対応になったんだ? おととしくらいから県外からの来訪者が続き、もっと地元で盛り上がらんかなー? と思って色々と試行錯誤はしてきたが、やっぱり技術を上げるしかないと孤軍奮闘してきたお陰か?怪しい技術がどんどん身につけてはきたが、それにしてもなんで海外だ? 海外にそんな多く知り合いおらんぞ。 それとも僕の知らんうちに海外に行っちゃってこのサイト見てくれてるとか? 日本は当たり前でチュニジアときて、あー、Zさんねー?とわかるとしても。 アメリカはTさん?ドイツはY君?フランスはこの前夫婦で見たホニャララ夫婦?それともAちゃん? うちがそんなに有名とは到底思えない。 まあどっちにしろもっと面白い記事書いたほうがいいかもしれない。 というか翻訳機能のインストールの仕方勉強したほうがいいのか。 また頭がパンクしそうだ・・・・。 追記 久しぶりに投稿閲覧者をのぞいたら、日本、アメリカ、フランス、ドイツ、チュニジアと続き、ロシアからの訪問者もいるらしい。 続いてオーストラリア、大韓民国、タイ、ラオス、イギリスも入って来た。 いったいどういうことなんだろ?

「整体の子育てについて」

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整 体における妊娠と出産 その9 「整体の子育て」 整体の子育てには、「健康に育てる」「健全に育てる」ということを追求してきた長年の経験の集積から生まれた知恵があります。そしてそれは、授乳・離乳食・補食・愉気・お風呂の入れ方・運動・気温、湿度の問題・光、音、速度などの刺激の問題・睡眠・病気の経過などなど、人間の営みのあらゆる面にわたります。 それらのことは、みな「赤ちゃんを元気に、健やかに育てる」ことを第一に考えた方法です。多くは、あたりまえのことであり、昔からおこなわれてきたことですが、中には整体独特の考え方にもとづいたものもあります。 ここでは、整体の育児に関する参考書として3冊の本を紹介します。妊娠中の方、これから妊娠・出産をひかえている方には、ぜひ一読されることをおすすめします。 生後13ヶ月(男の子は15ヶ月)の栄養の充実が、子供を丈夫で元気に健全に成長させることから、整体では離乳食とは別の意味合いで、「補食」ということを重視しています。この補食のことなども、詳しく書かれています。                 ☆「誕生前後の生活」 野口晴哉著  全生社刊       ☆「育児の本」 野口晴哉著  全生社刊  ☆「子育ての記」  野口昭子著  全生社刊   一般の書店ではおいているところは少なく、取り寄せも個人で全生社に問い合わせることになります。インターネットで、全生社のホームページから購入することができます。 ※)紹介した本の中の乳幼児に対する補食に関して、現在の食糧事情の関係で、残念ながらそのまま本のとおり同じようには与えられないものもあります。 たとえば、「レバー」などは、自然な形で飼育されている家畜の「レバー」なら問題はありませんが、最近は家畜の飼料に抗生物質をはじめとする様々な薬品が混ぜられていたりするので、それらの物質が肝臓(レバー)に蓄積されているおそれもあります。 「ハチミツ」に関しても、昔から長い間乳幼児に与えられてきた食品ですが、最近ではボツリヌス菌による中毒の報告もあり、一般に乳幼児に与えてはいけない食品とされています。 これらの本が書かれた時代が戦後、アメリカの占領下で食料が乏しく、食文化が変遷していった時代のことなので、身体観、食に対する考え方がガラッと代わった時代ともいえます。 例えば、本の中

「産後の注意・胎便・初乳について」

整体における妊娠と出産 その8 「産後の注意」 出産前後の問題は、その後の健康を大きく左右します。産後約2ヶ月は無理をしてはいけません。特に、産後骨盤が元通りに閉じて安定するまでにおよそ6~7週間かかります。この間は家族の協力を最大限得て、無理をしないで過ごすことです。 妊娠・出産前後の問題は、女性の一生の健康に関わってきます。直後はさほどでもなくても、更年期にその影響がでることも多くあります。また、赤ちゃんにとっても、胎児期と生後13ヶ月(男の子は15ヶ月)までは、一生の基礎をつくる大切な時期です。 いろいろと生活に制約を作ることは、そのときには大変ですが、これからの人生のうちでは、そう長い時間ではありません。この期間は無理をしないで、可能な限り母体・産婦と赤ちゃんのことを優先して過ごされることを望みます。 産後しばらくは、部屋を暗く静かにして、急に明るいところへ出ないようにします。できれば、2週間は遮光カーテンを引いておいた方が良いでしょう。これは、赤ちゃんにとっても大切なことです。スタンドや、天井の蛍光灯などの光の直射は、母子共に良くないので、布で覆いをします。産後の針仕事を控えると言ったのはこのためです。目や頭に気がいくと骨盤の締りがうまく行われません。 産後起きあがってから1週間ぐらいは、赤ちゃんを抱いたり、重たいものを持ったりしてはいけません。その間、授乳は横になっておこないます。 二ヶ月以内は、新聞・雑誌・小説など、細かい字を読むことはいけない。 テレビの見過ぎなど眼を酷使してはいけない。そして、禁パソコン禁スマホ。 目の酷使は目が張り付いた感じになります。その時は何も感じなくても50代以降に出てくることが多いです。 洗髪は、6週以後。 夫婦生活に戻るのは6~7週以後とされていますが半年は待った方がよいでしょう。 (すぐに次の子ができてしまいます。) 「育児の本」(野口晴哉著・全生社) 参照 「胎便の排泄」 赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいたときにたまった便を、「胎便」といいます。胎便は緑がかった黒色・粘性の便で、「カニババ」 とか 「ガニグソ」 などともいわれます。この胎便をしっかり排泄させることが、その後の赤ちゃんの健康にとって非常に大切になります。これを出さずに体内に残してしまうと、アトピーや喘息をはじめとする様々

「産後の起き上がり方について」

整体における妊娠と出産 その7 「産後の起きあがり」 10ヶ月かけて出産のための準備を整えた体は、出産後元の体に戻るのにも、やはり数ヶ月かかります。特に大事なのは、出産で開いた骨盤が引き締まって元に戻ることです。 整体における、出産前後の健康管理の一番大切なポイントは、産後の起きあがりの時期にあります。出産後、いつ起きあがるかということは、その後の健康にとって大きな影響を及ぼします。上手に起きれば、体質改善・美容法になりますし、起きる時期を誤れば、体が弱くなることもあります。 妊娠・出産で拡がった骨盤は、出産後徐々に元に戻ります。このとき、開いていた骨盤は、まず左右片側ずつ閉じてきます。そして、左右そろって閉じるときがあって、また左右差が出てきます。この繰り返しで、骨盤が閉まっていくのです。体温計で計ってみると、閉じている側は体温が高くなっています。両方閉じようとしているときは、左右の体温が一致します。 骨盤が片側ずつ閉じている間は起きあがらず、寝ていた方が良いのです。骨盤が、左右同時に閉まってきたときに起きあがります。骨盤(尻)が閉まるから腰が入ります。腰が入らない状態で起きあがると首に無理な力みを作って起きあがることになります。更年期の不調はこの首の無理な力みからくることが多いのです。 片側だけが閉まっているときに起きあがると、骨盤の閉まりぐあいに左右差が残ったまま骨盤の引き締まりがストップしてしまいます。子供を産んでから体調がすぐれないとか、病気がちになったとかいう話をよく聞きますが、それらはみな骨盤が左右そろわないまま固まってしまった人たちです。女性の体の中心は骨盤です。女性の場合、骨盤の位置、弾力、そして上下・開閉・前後の動きなどが体に与える影響はとても大きいものがあります。 出産は、偏った体の使い方や成長の過程で歪んでしまった骨盤を正す最良のチャンスでもあります。出産後、骨盤がそろったときに起きあがった人は、みな出産前より健康になり、きれいになります。それまで抱えていた体のいろいろなトラブルも、すっかり無くなってしまうことも多いのです。 「体温がそろったときに起きあがる」 出産後、胎盤が出てから8時間ごとに、左右のわきの下で同時に体温を測ります。同じ体温計を、2つ用意した方がよいでしょう。 8時間ごとに計っていると、左右差のあった体

「陣痛と自然分娩について」

整体における妊娠と出産 その6 「自然なお産と陣痛」 「陣痛」はあって当然、あるのが普通と考えられているようです。しかし、本来自然なお産はほとんど無痛でなされるものなのです。現に、無痛で出産している人はたくさんいます。整体稽古仲間の方の中にも、「こんなに楽なものなら、他人の子供も産んであげてもいいと思った」という人もいます。また、中には、「うんちかと思ったら、陣痛だった。いつ痛くなるのだろうと思っていたら、痛む前に生まれてしまった」という人もいます。 確かに生理でも痛む人がいるように、出産でも痛む人がいます。しかし、だからといって出産は痛い物だと決めつけてはいけません。 人間は心理的な生き物です。はじめから、「お産は痛いもの」と決めてかかってしまうと、本当にお産が痛いものになってしまいます。 聞いた話ですが、出産直後に「あれ?もう生まれてきたの?こんな気持ちのよいものならもっと生みたい!」といったお母さんもいたそうです。つわものですね? そもそも子宮には痛みを感じる神経がありませんといわれています。よくしたもので、子宮も産道もきわめて痛みに鈍いのです。では、陣痛の痛みというのはどこから来るのでしょうか? 一つは子宮の収縮する感覚ではないかと言われています。出産時に子宮が強く収縮するときの収縮感が、痛みとして認識されてしまいます。人体に起こる強い収縮感というのは、しばしば痛みの感覚と混同されます。たとえば、嘔吐するときなど、胃から食道がギューッと絞られるように痛む感じがしますが、これも強い収縮感を痛みと感じているものです。 もう一つは、骨盤が開くときの痛み。出産のときに、お腹より腰が痛かったという人が結構いますが、これは出産にともなって骨盤の開くのにともなう痛みなのです。これは運動器系の痛みで、どちらかといえば腰痛と同じ種類のものです。 痛みというものは多分に心理的なものを含んでいます。パニックになって痛みに対する恐怖感でいっぱいになってしまうと、自分自身で痛みを作り出してしまうことになります。まずは、「今体に感じているのは収縮感なのか、骨盤の開く感じなのかと」冷静に内側を観察する”目”を養いパニックにならないようにすることです。 二度目の陣痛を迎えると背骨が整い、腹部の調律点、3点が綺麗に出そろいます。 首と手首の三脈をとって、分娩に備えるなどの工