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佳い

この間は稽古会の皆さんと七尾のNさんのところまで稽古着探しツアーの二回目の訪問。 今回もお宝がわんさか出てくる。着物にしても絣や上布、硯などの書道具に大樋焼き等の茶道具と盛りだくさん。 言えば何でも出てくるから驚きだ。値段もリーズナブルでいったいどうなってんだ。 皆さん、それぞれ佳いものに出会えたようだ。 皆の選び方が興味深く、段々とそれぞれ傾向が違ってて面白い。 今回は僕自身、佳いものと圧倒的に佳いものの違いが勉強になった。それは"これで佳い"という感覚と"これが佳い"という感覚の違いである。二つは似て非なるものだ。始まりと終わりぐらいの違いがあるだろう。 能登上布の着物を試着してみていた時だ。皆、一つ羽織っては目を瞑り内観が始まる。流石は能登上布、麻ものは丹田が満ちてくる。 後で畳むからとどんどん新しいものを出してくださる。お陰で横には能登上布の山が出来上がる。 そのうちの一枚に袖を通した時になんとも言えない感覚が全身を包んだ。思考は静まり、口を出すのが億劫で、判断したくない、考えたくなく、動けなくなり、ただ身を任していたい。 圧倒的に佳いのだ。これだと思った時にはもう買って手元に抱え込んでしまっていたわけだ。 あれもいい、それもいいでなく、あれでいい、これでいい、でもなく、これが良かったのである。これこそ今の自分にぴったりだったのだ。 こうしてみるといかに日常は小さい感覚出して満足しているかと、自分自身を誤魔化していることかと唸ってしまった。 ちょこまかとした愉気で整えたつもりになっているが能登上布に負けている。 そんな事を気づかされた日曜日の午後であった。 "これが佳い"という物事・経験が自分自身を作っていくのだ。 生活を自分の世界を満たしていくのだ。 ぼんやりしとれんわ。 もっと求めんと。 皆さんはそんな物事に出会っていますか?