あたわりもの

"あたわる"とは富山の方言で運命付けられたもの、与えられたものとある。
私見だが、これは元々は仏教かそれ以前から生まれた言葉なんじゃないかと思っている。
富山を含め北陸には浄土真宗門戸が多く、それ以前の白山信仰も手伝って方言だと思って普通に日常会話で使われている言葉が、実は仏教用語から来ている事は少なからずあるため、"あたわる"もまたそんな気がする。

誰か真実を知っている方にはご教授願いたい。

ともかく神仏の領域からやってくるモノ・コトを縁や運と言い表し、そこから得られる自然界の恩恵を"あたわる"と感謝を含めて自然界や自分の宿業を超えてやってくる何かに祈りを捧げているような印象を感じるのだ。

別に僕は信心深い訳でもなんでもない。どちらかといえば思慮の浅い不埒者であるが先祖からあたわったモノ・コトや、ご縁や運の良さには感謝せずにはいられない。
子どもが来てくれた事もそうだし、整体や武術に出会えた事もきっとそうだろう。たくさんのモノだって譲り受けている。余りに色々なモノを貰うのでホームレスかリサイクルショップでも開けてしまうんじゃないか?と思えるほどだ。

嫁さんにはこれ要らないんじゃないの?と時々突っ込まれて逆上する事がしばしばある。
どうも物持ちがいいのは親譲りらしい。母親は特に物持ちがよく、一見がらくたにしか見えないモノまで大事に保有している。

というのもこの間、京都出張の際にいつも使っている通勤カバンのファスナーが壊れてしまった。
結構お気に入りだったので修理しようかと見積り出してもらったら二万円近くかかるらしく、それなら新しく買い直す他ないと泣く泣く断念した。
Amazonでも覗いて見ようと実家でスマホをいじくり3つくらいに候補を絞り、コレにしようかとポチろうとした瞬間、母親が現れて「あ、そういえば、いいカバンあるよ」と二階でゴソゴソやっていたら革製のトートバックを持って来た。




なんでも僕の祖父が通勤に使っていたものらしく、母親も高校生の時に通学カバンとして使っていたらしい。今から五十年も前の話なので僕より年上の年代物。
三世代に渡って使われていく事になる代物。

なんというかひとめぼれ。
外見もいい具合に風化したヴィンテージ風で容量も丁度良く、ぜんぜんお洒落で一目見て気にいってしまった。
縫製も革もしっかりしていてまだまだ使える感じ。

着物もそうだが祖父が使っていたものが、孫の僕に受け継がれるのはほんとに凄いことだ。こんな話にはとんと弱い。

今度ばかりは母親のがらくたの物持ちの良さに感謝しよう。
いつもバカにしてすいませんでした。



受け継いでいくモノ・コトはあたわったモノ・コトでもある。
たかが革カバンを貰ったという話なんだが、ただ運がいいと思うだけではなくて、幾度となくそれらに出会う毎に、それまでに蓄積された時間を思うと感謝や畏敬やまだ言葉では言い表せないほどの大きな深い思いを抱いてしまうのだった。

このカバンがもし息子たちの手に渡る時が来たら彼らはどんな事を思うだろう。
僕がこのカバンを受け取った時と同じ気持ちを共感できるだろうか?

楽しみが一つ増えたのだった。
そんなことを考えながらこのカバンを使っていく事にしよう。

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