飽きない

今日は一月ぶりの書の稽古。
相変わらず参加人数は少なめ。
たまには書の稽古以外の他の稽古のことも書きたいし、そういうリクエストも貰ってはいるが、なんでかしら書の稽古の事だとすらすらと思い付く。

今日の金沢の気温は32度を越える。

しかし、こんなクーラーも扇風機もない部屋でひたすら自分に向き合い、書を書いていくなんて気がふれている、としか言いようがないかもしれない。
いつか熱中症で倒れるんじゃないか、と思い始めて見ると、いつしか涼しげな風が吹いてきて、終わる頃にはさっぱりしているのがいつも不思議だ。

熱気もどこへ、と艶々したさっぱりした顔だちへと変わる。

不思議といえばここ一年は課題に辿り着けず、書いているものは地味にたて線、横線、はね、払い、そして丸、の本当に基本的な事。








ぜんぜん飽きがこないから不思議だ。

というのも身体の中の内動性で書く事を主眼においているからか、色々試すこと有りなので、まったく飽きない。


師匠に頂いた課題をもとに毎回違う手順が生まれて、毎回違う書き方で書いている。

どんどん良くなってきている。
基本が進化していくとはこの事だろうと、毎回参加者と確認し合っている。
飽きない事が本当に不思議だ。

今まで数多くの趣味に没頭し、飽きては止め、つまらなくなりして投げ出して来てはいた訳だが、ただ延々と線を書いていくことがどうして飽きないんだろう?

なんてことを考えていたら一つ思い当たったことがあった。

振り返ってみるとすぐに飽きる物事は「身体」がない。感じ取れない。
型が分からないから集中が乗らない。そういう未熟さがあったのだろう。

今も未熟に変わりはないが、未熟という事を知っただけ当時よりは少しましだろうと思う。
だから単純な物事の中に面白みを感じ取ることができてきたのかもしれない。

ただひたすら線だけをかくなんて、こちらの方がすぐに飽きて投げ出しそうなものなんだが。

今日は参加者の方に聞いてみた。
「ここ一年、線ばかり書いているけど、飽きませんか?」
「いいえ、いつも新しい自分に出会えるんです。」


なるほど。
それこそ稽古の醍醐味かもしれない。

出会える「書」だから、飽きないんだ。

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