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7月, 2017の投稿を表示しています

八月・九月の予定

八 月・九月の 予定についてお知らせします。 暑い日が続いていますが、今月はリンパ・血液関係の技法を研究し、体内温度の上げ下げを実習しようと思います。 他に引き続いての脱力・集注レベルの底上げといった基本的なことを実習したいと思います。 7 月から月曜日の時間割りが13時~15時半に変わっていますのでご確認ください。 稽古会継続登録者の方はキャンセルの場合だけご一報下されば幸いです。 初心者の方は要予約となりますので右記メールフォームにて、 1、お名前 2、連絡先 3、参加動機 を添えてご送信下さい。 最新版のスケジュールは 予約・稽古日程 欄を。 稽古内容については 身体塾稽古会 欄をご参考ください。 日程が変更される場合がありますので、こまめにご確認ください。

観能の夕べのご案内

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「観能の夕べ」 夏ですね。 気温も30度を超える日が続いております。 皆さまはいかがお過ごしでしょうか? そんな夏の納涼にぴったりのイベントが今年もやってまいりました。 7月から8月の終わりごろまでの期間のイベントとなりますが、夕方から開演でお値段もリーズナブル。 能楽体験として4時ごろから謡・仕舞・囃子や狂言体験などもできるそうです。 無料なのでこちらも面白そうです。 個人的には8月12日(土)回の狂言 「墨塗」・能 「葵上」と 8月26日の回の狂言 「入間川」・能 「鵜飼」 気になっておりますので、また興味のある方はご一緒に観能しませんか? 何を見るかも大事ですが、誰と見るかも大事ですもんね。 稽古仲間の皆さんと一緒に見ますと、新しい能の見方が見えてくるかもしれませんし、稽古着や着物で見てみるとまた面白いかもしれません。 17時半開演なので、18時ごろに能楽堂の前で待ち合わせでもいいですし、 お近くにお住まい同志の方は乗り合わせてこられてもいいですね。 参加される方はブログ内右記メールフォームでお知らせいただくか、個別や集団稽古の時にお知らせください。 ではでは。 熱中症にお気をつけてお過ごしください。

記憶の仕方

整体指導にこられた年配の方とお話ししていて、どうもこの年になると記憶力が弱くなるからかすぐに物事を忘れる、 スケジュール管理が難しいらしく、何かいい方法がないものか?という話になった。 何だかこう言う話が一つ出てくると、二つ、三つと増えていくから不思議だ。 貴方はまだ若いからそんな事はないでしょう?と言われて、どうなんだろう?と思い返して見ると、確かに自分で決めたことは忘れないが妻や家族に頼まれたことはすぐ忘れるから、メモをとったりLINEで送ってもらったりしていることに気がついた。 メモを取ってもすぐに忘れる場合はどうしたらいいか?と聞かれたので、記憶の仕方について考えてみた。 自分で覚えた事は忘れないのに、人から言われた事はすぐに忘れる、というところがおもしろい。 そこに解決の糸口が見えそうだ。 自分の記憶の仕方を振り替えって見ると、予約張でスケジュール管理はしているものの、朝に無自覚にも段取りをしていた事に気がついた。 例えばこんな具合だ。 子どもたちがご飯を食べている間にあれやってこれやって、保育園送ってから、仕事場であれやってこれやって、何時に誰々来るから、次は誰々、空き時間にこれして、何時に子どもを迎えに行って、次は誰々で終わったらこれして、というような段取りを布団の中de 脳内に繰り広げ、だんだんと面倒臭くなってきて忘れる。 予定調和など下らない。 やっぱり即興性だ!と蒲団から飛び出し綺麗さっぱり忘れる。 そして朝を迎えるといった具合だ。 そうするとその時忘れていても、次の現場、次の現場と移り変わる度に、一つの作業を終えると次のやるべき事が出てきてという繰り返しで一日が進んでいく。 そういう便利な習慣がどうやらいつの間にか身に付いていたらしい。 頭に記憶したことが腹に降りていく、そしてまた頭に戻り思い出す。 こういったことは忘れない。 頭だけで管理しようと覚えようとするとだめ。すぐに忘れやすい。 現に一年に一回位、予約張に書いてあった事を忘れていて、整体指導に来られた方と鉢合わせして、「ありゃー、しまった。」なんてこともたまーにあるから人の事は言えない。 とにかく訓練が必要だが、前の日の夜眠る前でもよいの

飽きない

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今日は一月ぶりの書の稽古。 相変わらず参加人数は少なめ。 たまには書の稽古以外の他の稽古のことも書きたいし、そういうリクエストも貰ってはいるが、なんでかしら書の稽古の事だとすらすらと思い付く。 今日の金沢の気温は32度を越える。 しかし、こんなクーラーも扇風機もない部屋でひたすら自分に向き合い、書を書いていくなんて気がふれている、としか言いようがないかもしれない。 いつか熱中症で倒れるんじゃないか、と思い始めて見ると、いつしか涼しげな風が吹いてきて、終わる頃にはさっぱりしているのがいつも不思議だ。 熱気もどこへ、と艶々したさっぱりした顔だちへと変わる。 不思議といえばここ一年は課題に辿り着けず、書いているものは地味にたて線、横線、はね、払い、そして丸、の本当に基本的な事。 ぜんぜん飽きがこないから不思議だ。 というのも身体の中の内動性で書く事を主眼においているからか、色々試すこと有りなので、まったく飽きない。 師匠に頂いた課題をもとに 毎回 違う手順が生まれて、毎回違う書き方で書いている。 どんどん良くなってきている。 基本が進化していくとはこの事だろうと、毎回参加者と確認し合っている。 飽きない事が本当に不思議だ。 今まで数多くの趣味に没頭し、飽きては止め、つまらなくなりして投げ出して来てはいた訳だが、ただ延々と線を書いていくことがどうして飽きないんだろう? なんてことを考えていたら一つ思い当たったことがあった。 振り返ってみるとすぐに飽きる物事は「身体」がない。感じ取れない。 型が分からないから集中が乗らない。そういう未熟さがあったのだろう。 今も未熟に変わりはないが、未熟という事を知っただけ当時よりは少しましだろうと思う。 だから単純な物事の中に面白みを感じ取ることができてきたのかもしれない。 ただひたすら線だけをかくなんて、 こちらの方がすぐに飽きて投げ出しそうなものなんだが。 今日は参加者の方に聞いてみた。 「ここ一年、線ばかり書いているけど、飽きませんか?」 「いいえ、 いつも新しい自分に出会えるんです。」 なるほど。 それこそ稽古の醍醐味かもしれない。 出会える「書」だから、飽きないんだ。

Glenn Gould-Beethoven-32 Variations in C minor (HD)

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Horowitz plays Chopin Ballade 1

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祖父と煙草の思い出

誰かと煙草の話をしたせいだろうか。 それとももうすぐ彼岸が近づいてくるからか、そのせいか祖父の事を思い出した。 十代の終わりごろに大阪に出た。 三年くらいたった頃金沢に戻ると、祖父母の住んでいた土地に新築の居を構えて、両親達は二世代同居生活を始めていた。 いつも祖父母の家を訪ねると、和服に座椅子で迎えてくれた「かくしゃく」とした僕の祖父は、着物ではなく作務衣に代わり、車椅子に座って、デイサービスの方からは「かっちゃん」と呼ばれる愛らしい好好爺になっていた。 脳が段々と萎縮してスポンジ状に変わっていく病気を患い、段々と筋力も衰えてきて、口数も少なくなり、孫の顔もわからなくなっていったが、ぜんぜん手のかからない人だったと思う。 時々、急に記憶が戻り皆の顔を思い出す時があった。 それは一人でテーブルに車椅子で座っているときに、誰かが置いたであろう煙草に手を伸ばし、慣れた手つきでトントンと煙草を一本取りだし、いつもは震えている手がピタリと止まりシュボッとライターで火を着けて、キューっと煙草を旨そうに燻らせていたときだった。 そんな時は大抵、こちらにくるっと笑顔を向けて、「オオ、日向、いつ帰ってきたんや?」とこうくるのだった。 大阪から戻って来たことや最近の近況や一緒に住んでいるんだよ、と伝えても次の日にはいつものボケた好好爺に逆戻り。 煙草を吸わせると記憶が戻るんじゃないかと、何度か吸わせて見ても何も変化はない。 だが記憶が戻る時は大抵、自分で煙草に手を伸ばし旨そうに一服しているときだったから不思議だ。 そういう時は二人で一緒に一服したものだ。 「爺ちゃん、この煙草旨いかい?俺にも一服分けてくれよ?」というと、 「お前も煙草のむのか?あんまり身体によくねえげんぞ」とかいいながらも、嬉しそうにトントンと叩いてスッと一本出してくれたのだった。 今より分煙化が進む前の話だ。 旨そうに煙草をのんでいる爺さんの横顔がすごく幸せそうだったのを今も在り在りと覚えている。 それから程なくして逝ってしまったが、死ぬ前にもう一服してもらってあの「かっちゃん」スマイルを拝んでおいても良かった。 まあ、あちらでも旨そうにふかしていることだろう。 煙草が有害か無害かの話はどうでもよく、その手の話を聞く

七夕

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七夕。 ↑どういう事?? 元は中国の文化だが、 毎年この日になると七夕飾りと笹を買ってきて、子供達家族と会員の皆様に短冊に願い事を書いてもらう。 晴哉先生の潜在意識教育にあやかったものだ。 子供が生まれてから定番になったイベントと言える。 巷での七夕説は彦星と織姫が一年に一回の逢瀬を行うとし、それに乗じて願い事を短冊に書くのが風習化したとある。 内に来る子供達にどんな願い事をしたの?と訊ねるとなんとも恥ずかしそうにもじもじしている。 腹のうちをさらけ出すのがなんとも恥ずかしいそうで人に見られるのも恥ずかしいらしい。。 本気の願い事を書いて皆に見られて、なんと思われるかが気になるのだ。 もう少し年齢が進むと、子供じみた事はしたくないとか言い出すかもしれない。 かといって誰に見られても恥ずかしくない願い事は妥協して書いたものかも知れないし、本気の願い事とは言えない。。 僕にとっての七夕は何も織姫と彦星のロマンチックな逢瀬ではない。 七夕は一年に一回、本気で自分の腹の底をさらけ出し、自分の無自覚な願望を見つけ出す日なのだ。 自分に素直に生きる決断をする日なのだ。 そしてその素直さに信念を持つこと。 そうやって腹の底を見たもの同士が見つけた願望は誰も笑いはしないし、一つの願い事に一人、二人、三人の気が合わさり、実現に向けて自然と動き出す。だからちゃんとした人間関係を結ぶ日でもあるんだよ、と気がつけばベラベラと口が動いていた。 そして綺麗さっぱり忘れることだ。 そういう意味を込めた潜在意識教育の七夕祭りだったのかな?と自分の喋っている事を聞いて思ったのだった。 皆様はどんな願い事をされたのでしょうか?

七月・八月の予定

七月・八月の 予定についてお知らせします。 七月七日は七夕です。短冊に願い事を書いて持って来て下さい。 回を増す毎に濃密さと濃厚さが増してきた稽古会です。 段々と一つのテーマを設けるようになってからは、だいぶ交通区画整理され風通しがよくなりつつあります。 理解の幅や楽しみ方が増したように感じています。 意志を遠ざける。観念から外れる。 正解を探す。 段々と難しい問題も出てきました。 久し振りにやってみる稽古が前と全く違うものに感じるという事もあるかもしれません。 出来たという動きや感覚が分かっていなかった。という事もあるかもしれません。 そうやって身体の稽古を通して経験的につかんだことは技能や職場、家族や育児、友人などの人間関係に役立つことと思います。 各稽古一コマ二時間で教えた内容は、例えて言うなら在来工法のぎ木の仕方です。 一つずつ手渡した素材を一人一人が自分の日常に持ち帰り、磨きあげていく。 今日渡した素材は土台、今日渡した素材は柱。 そうやって渡された素材を継いで屋根や壁ができて家が仕上がっていく。 身体も同じです。 一つの素材を理解するから、どこの部材か? そしてその素材同士の相性や継ぎ方がわかってくる。 その面白さが段々とわかってくる。それがどんなジャンルの稽古の醍醐味ともいえます。 稽古会継続登録者の方はキャンセルの場合だけご一報下されば幸いです。 今月から月曜日の時間割りが13時~15時半に変わります。 現在、治療をお望みの方は個別指導の前に稽古会にご参加ください。 身体治しは稽古会で行っています。 初心者の方は要予約となりますので右記メールフォームにて、 1、お名前 2、連絡先 3、参加動機 を添えてご送信下さい。 最新版のスケジュールは 予約・稽古日程 欄を。 稽古内容については 身体塾稽古会 欄をご参考ください。 日程が変更される場合がありますので、こまめにご確認ください。