観点が変わると

身体に動かないところがあるとする。
動かそうともがけばもがくほど、首に力みが生じ上気する。
身体が熱くなり、一見動いたかのように見えたその部位は実は固定化されたまま。
その部位から生み出される精神もまた固定化され、ものの見方もまた固定化される。

その部位が怒りを生じる場所なら、その怒りは固定化されたまま。
その部位が悲しみが生じる場所なら、その悲しみは固定化されたまま。
動くことはなく忘れされられ、他の部位・情感と合わさって複雑に絡まり合っていく。
そして、また同じことを繰り返す。観点が固定化されているからだ。

逆説的に言えば固定化されたままの心の角度は身体を動かすことでほぐれていくことができる。
要はその身体を眺める角度・方向だ。

人間の身体は無自覚にも八方向に動いており、上下、左右、前後、左右回転、「氣」という字の中の米はその八方向の動きを表しているとされる。
収束・拡散の動き、開閉も入れると10方向に動いていることとなる。裏・表もこの中に分類される。
緊張(締まる)と弛緩(緩み)をあらわす開閉の動きは「気」の中の〆の字で表している。
「氣」の八方向と対をなすと思われる。

どの角度・方向から身体を見ているか?
どの角度・方向から考えているか?
どの角度・方向から取り組んでいるのか?
どんな物事にも言える。
人は無自覚にもこれらを選択し決定している。

なにか息詰まるとき、うまくいかない時、無自覚にも一つの角度・方向で頑張っていることが多い。
そして、どんどん首はつまり捻じれていく。
その角度をちょっと変え、方向を少しずらすことですーっとなにかが流れていく。
あれだけ頑張っても超えられなかった壁がそうでなくなる。
捻じれることが好きな人はこれに気づけない。
感情の行き詰まりをぱーっと発散できればいいが、八つ当たりとなって当てられた人はかなりの迷惑である。

そのすーーっと流れていく方に快を見つけることができたなら。
そしてちょっとした角度・方向の変え方を体得できたなら、何かが少しづつ動いていくことだろう。
心が何かに囚われ、動いていない時はまずは身体から動かすことをお勧めする。
まずは自分の固定化された観点に気づくことから。










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