恩師の訃報

20代のころの恩師が亡くなったとの知らせが届く。

今は変動が激しい時期と感じていたらこんな悲しい知らせが届いてしまった。

享年67歳と聞く。まだまだ逝くには早すぎる。


いまから20年くらい前、身体の勉強はタイ式マッサージから始め、20代中盤にカイロプラクティックを学び治療師となるわけだが、Sさんにあったのは丁度タイ式を始めて一年か二年後だっただろうか?

勤め先が東京に新しい店舗を開くこととなり、全社員まとめてプレオープンの為に上京し、どうせ東京に来たからにはとマッサージの勉強をしようと、知人に誘われ井之頭公園にあるプライベートサロンを訪れることになった。そこで施術してもらったHさんとの縁からフジロックでの出店を誘われ、それから毎年7月は僕の誕生日月はフジロックから始まることになったのである。

そこでお世話になったのがSさん。

大蓮華堂の大黒柱。

楽縁堂はこちらからパクらせてもらったのは言うまでもない。


リラクゼーション用のタイ式から独自の見解を深めて、治せるところまで持って行ったのである。30代手前に身体教育研究所にであい入門するまでは毎年フジロックだったので、7、8年行ったことになるのかな。

この時期のフジロックSさん劇場がほんとに懐かしい。

今思えばちゃんぽん系の思想・技術だが、当時のフリースタイルマッサージという考え方は胸を熱くさせたし、彼に影響されたところもたくさんあると思う。

「遊び方」「愉しみ方」を教えてくれたのは彼だったかもしれない。


とても強烈で無邪気で優しくて性質が悪くて自信満々で、一度会ったら忘れない人だった。

ストリートマッサージについて熱く語ってくれたっけ。

ここ十年くらいまったく会っていなかったし音沙汰もなかった、一年に一回フジロックでしかあわないくらいの距離の人だったし、彼を語れるほど一緒にもいなかったがやはり悲しい自分がいる事に驚いている。無自覚にもかなり影響を受けていたようだ。

あの人には80、90歳くらいまでフジロックで君臨していてほしかった。

またそんなことができそうだし似合うような人でもあった。

僕はフリースタイルやちゃんぽん系の世界には興味を失ってしまったからこそ、その世界をもっと追究していてほしかった。

しかし、なんだかさんぽにでも行くかのようにさっといなくなったのがほんとにあの人らしい。

彼の死を悲しんでいる人や影響された人、の多さにびっくりして安心した。

さすがSさんだ。

それを見て「ほら、やっぱり俺ってスゲーだろ!」

なんていいながら笑ってる姿が容易に想像できてしまう。


短い間ですが大変お世話になりました。

ご冥福をお祈りいたします。






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