確信に変わってきた

なんだか身の回りの変動が激しい。
一つ、繋がりが切れると、また一つ増える。
急に静かになったかと思えばまた激しく動き出す。やっと一つ仕事が片付いたと思えばまた一つ増える。

なんだか世界が慌ただしく動き回ってるかのような感じ。自分だけが取り残されている感じがしないでもないが不思議にも不安も焦燥もない。いや、少しはあるかな。

ここ最近は懐かしい顔がチラホラみえる。何年かぶりに調整に訪れる人がポツリポツリと現れてくる。
その人達の身体を見させてもらうと、何年か前の自分の調整した跡やその人の病歴までもが見える。
正直言って昔の自分は下手だ。

なんでこういう調整をしたか?その人の症状の改善に合わせて、ここを変えたかったんだな、と理解はできるが、今の僕では納得はできない。やりすぎているところもあった。
その人の身体に手を当て、過去の自分にこれにはこうするんだよ、と教えている教えてもらっている気にすらなっている。
不思議な感覚が訪れている。
過去の清算でもしてんだろうか?

少しは上手くなれたらしい。それが救いだ。半分見えてなかったところが見えるようになったんだろう。より良い技術を追い求め、数を増やし、時には理を求めやって来たが、技術の中核に同調感応性があると気づき、それだけを磨いてきたら、やり方が増えた。


それに伴ってか重病系の人達や変わった症例の人も来るようになった。
昔はそういう人たちが来ても、なにも出来なかったし、勢いだけであった。
今ならここまでの事はやれる、という思いが悔しさを連れて出てくる時もある。
思えば本当に整えかたも身体の見方も変わったものだ。

知覚のレベルがあがって来たんだろう。
でも、だからどうしたという感じだ。

これからも身体の中の自然の力、それにただただ寄り添っていくだけ。その精密さにホンの少し手を加えていくだけである。

それがだんだんと確信に変わって来ただけの事だ。

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