あたわりの中を生きている
あたわりの中に生活がある。
今日道場に来たら玄関にこんなものが。
なにやら大きい荷物。
頼んだ覚えも全くないが、宛先を見れば確かにこの稽古場の住所に私の氏名とある。
なんじゃらホイ、と開けてみると!
え、なんで?こんなもの頼んどらんぞ、と注文書を確認するとS岩さんからのギフトです、とある。
なんだかな~!こう毎日なんか色々とあたわってると申し訳ない気持ちになる。
S岩さんからは迷惑をかけたお詫びですとあるが、別にこちらは迷惑なんて被ってないし、むしろこんな高級品貰っちゃっていいんですか?という気持ち。
ここ最近、沖縄での半年間くらいのテント生活を思い出す。
生活がシンプルになると、必要なものがどんどん揃ってきて、俺がこの世界に生きているんだ、という感覚から私はこの世に生かされている、という感覚の変化を経験できた大事な時期の事。
朝起きて、海岸を掃除して朽ちている松の木でご飯炊いている間に、昨日仕込んだ釣竿にかかっている魚を解体したり、沖に出て網にかかっているウニや魚等をとってきて、畑のすみに捨てられている野菜を貰って共に昼飯や夕飯の準備などをしていたり。
毎日がバーベキューみたいなもんだから、地元にできた友人達なんかが色々なものを持ち込んでは宴会が始まったりなんかしたりして。
酔いが回るとどこからか三線が出てきて歌が始まり躍りだし、歌合戦が始まる。
あの時の身体の満ちよう、充実感は何があっても大丈夫という情緒を今でも産み出してくれている。
あたわりの中にスポっと入り、色々な流れに身を委ねたからそうなったのか今でもよくわからない。
でも確実に言えるのはまだまだそのわからない、時間の中に僕は生きていて、そのあたわりの中に僕らの生活があるって事。
佳い経験をさせて貰ってますな。
ありがとうございます。
チェーンソー大事に使わせていただきます。
しかし、二日前に宅配物が届く夢を見たがこれの事だったのか。
本当に不思議だ。
コメント
コメントを投稿