ふっとんだG・W発熱は突然に

毎月、義叔母から「かしみ便り」が送られてくる。
山での生活などが事細かく絵も交えて書いてあるので、毎月、密かな楽しみになっている。

実は五月初旬、義叔母がコロナしれない、という事件があったことを聞いていたので、
特に今月号は面白く興味深く、これから来るかもしれないコロナパンデミックの第二波、第三波に備えるためにも、何か参考になるかも知れないので、本人の掲載許可を取り原文そのまま載せることにします。

これを読んでの僕の感想はコロナ禍の中、それに医療資源が集中すると、当然、他の症状を患った方たちに公平な分配がされず、結果たらいまわしにされてしまうということです。
パンデミック下の国家的戦略で考えるなら、その取り分を他の様々な代替医療やオルタナティブな養生法や免疫力増大の各種様々な知見を持って補てんしていかないと、結局は医療崩壊してぶっとんでしまう。

その医療的ソースをどういう風に広げ分配していくかが、コロナ以降の今後の第二波、第三波に備えての動きになると思いますが、総理大臣を変えても頭のすげ替えにしかならず、構造を内側から変えていかないと無理だと思います。
そのためには情報の獲得範囲を世界的な視座まで広げる必要があるし、我々、各個人の意識も拡張していかないと無理でしょう。それには科学や医学に対する万能感を改める必要があると思います。科学や医学で説明できないことなどたくさんあります。
自分は何に不安になっているか?
これを機に自分がどういう生き方したいか?どういった経験が自分の生命力がアップデートされていくか、を考え、自分なりの養生法や免疫を高めるための方法論を構築していく必要があるでしょう。手前味噌ですが身体の内側に目を向けていくことが大事ですし、医療資源に頼らない方法やそういう生き方を実践している人を探して教えを乞うとか、できることはたくさんあるように思います。


長くなりましたがどうぞ、以下掲載分。


・ふっとんだG・W発熱は突然に(文中のH栄は義叔母、Sは叔父です。)

郵便配達は日曜、祭日以外土曜日も配達しています。
コロナ禍の中、配達員はマスク着用し、毎朝検温するようになりました。
4月30日(木)H栄の体温は36、0度平常。元気に配達しました。

5月1日(金)はたまたま年休でした。お休みの日の朝はおそいもんです。
ところがこの日は起きられなかった。扁桃腺が腫れ髪の毛を引っ張られているように痛い。
友人の娘一家が山菜取りに来る日だったが、彼らが来た10時になっても起きられず、Sは彼らを連れて山に出かけた。

多分お昼過ぎ、Sたちが帰って来た気配。家の外からSの説明する声がきこえる。
よろよろと起き、体温を計っておどろいた。38、1度もある!
かぜをひいたって、こんなにでることはないのに。

外にいるSに声をかける。「S・・・S・・・」あれ、声を出す力がない。
「S・・・大変・・・発熱・・・」「あちゃー」とSは「」それは大変!と彼らを早々に帰した。H栄は食欲もなく横になる。夕方、38、4度に上がる。これかぜじゃない。職場に電話。「発熱あるなら出勤するな」と5月2日も年休になる。5月3日から6日までは、カレンダーどおりにお休みです。

5月2日(土)熱は37度台で推移。頭の頂点が腫れている感じがする。コロナは”発熱してから4日様子をみろ”というし、食欲はないが、咳や鼻づまりは無し。においと味はわかる。
ただ横になっている。よるになっても快方に向かわないのをみかねたSは市販のかぜ薬を飲ませた。

5月3日(日)鏡を見てびっくり。額が赤く腫れている。こんなコロナってあるか?まだ発熱して3日目だから病院には行けないと思っているH栄に、Sは「ばかか!」と一喝。新聞で当番医をさがす。今日は日曜だから新聞は郵送でなく新聞屋さんが配達してくれて午前中に新聞を広げることができたのです。当番医院の中の一番近い病院にTEL。発熱ありと告げると、「駐車場に着いたら電話して下さい」と指示された。H栄のキッズケータイに病院の電話番号を登録。

日曜日だからほかに通院者はいない。駐車場にはうちのジムニーだけ。マスク、ゴーグル、フェイスシールドの看護師がピッと体温を計り(37、9度)保険証をビニール袋に入れさせる。(接触感染防止なのね)しばらくして医師が現れた。看護師さんより重装備、マスク、ゴーグル、フェイスシールド+防護服。そして運転席側の窓ガラス越しにH栄を伺う。(アレ、看護師さんより遠い)Sが窓をあけようとすると
先生はあわてて「あけなくていい」と制した。こんなに顔が腫れてくるのは「もしかしたらダニにかまれたかも。寝床にダニがころがってたから」とH栄は言うが閉められた窓だからなかなか伝わらない。H栄の憶測はスルーされ、解熱剤をくれて、あとは「電話してくれ」と。「どこに?」「テレビで紹介されている電話番号に」それで薬だけ手にして帰ってきました。発熱4日を待って保健所に電話することか、と腫れる額を冷やしながら寝ていると先ほどの病院から電話。「発熱して3日目であること」「私が65歳で高齢者にあたること」で保健所に連絡したそうだ。(高齢者のH栄が急変して死んじまって自分の非になるのをおそれたのかな?やたら容体の急変を言ってたなあ)しばらくして保健所からも電話。「明日PCR検査を受けてもらうから○○病院へ。病院名は口外しないでください。○○病院には直接入らないで、手前の・・・」と詳しい場所はSにと電話を替わった。

5月4日(月)熱は36,5度~37度と下ったが(解熱剤のおかげか?)腫れは顔の上半分に赤く広がりまぶたも腫れている。Sはアレルギー的なものか膠原病をうたがいだした。顔を腫らしたH栄を乗せて、○○病院の手前の細い道に右折して、病院の後方の門から入るとテントが三棟張ってあった。駐車場では約束の時刻までに着いたこともあるが相当待たされた。やっとこさ二人の看護師が現れて検温、そして同じくビニール袋に保険証を入れさせた「指示はケータイにかけますから」「これ、キッズケータイで登録した番号としか使えないんで、病院の代表電話番号は登録してありますから、それからかけて下さい」と説明したがよくわからなかったみたい。「それなら、ご主人のケータイでもいいです。」とSの方へ。「おれ、ケータイ持ってないんで」と答えると彼女たちが理解できなかったキッズケータイの番号をきいて、病院の中に入っていった。が、しばらくして、ビニール袋にはいいたケータイを持ってきた。(キッズケータイに)つながらなかったので、これを使ってくださいと。つまり、医師との問診は、ケータイで行っているのです。

問診は発熱から何日目?とかコロナ前提の質問ばかり。この機を逃したら聞くことができないと「この検査で陰性になったら、病院に行って、この発熱顔の異常な腫れがどこから来ているのかみてもらえばいいんですか?」「PCR検査は30%のゆらぎがあるから、陰性になっても病院に行く前に保健所に聞いてください。」この発熱の原因にたどり着くみちのりは、まだまだ先が長い。
 そしてPCR検査を体験。鼻の奥のそのまた奥にズコッと綿棒が突っ込まれた。(座席に寄りかかってくださいと
言われた訳がわかった。)
検査結果は2日後、ケータイに、と言われたが私たちの場合は固定電話の方が確かなので固定電話の番号を教えた。「すぐ電話に出られるようにしてください」と念を押された。

5月5日(火)発熱して5日目、顔の腫れは下の方まで赤くなっている。両方のマブタをブヨに刺されたように腫れあがり目は開けられない。視野が狭いから上を見るときは首を上げなければならない。顔認証システムだったら本人であってもはねられるだろうな、とフフフっと笑ってしまう。(アンパンマンよりひどい顔)

”検査結果は二日後”と言われていたけど、一日早く連絡があった。「保健所の△△です。M村さんの結果は陰性です」(そりゃそうだろ、こんなコロナは聞いたことない)「よかったです」この機をのがすとかと、すかさず聞く。「すみません、陰性だから、この発熱の原因を診てもらうために病院へ行っていいのでしょうか?○○病院の先生は30%の揺らぎがあるから保健所にきいて下さいって言われたんですけど」「M村さんは発熱等、発病していての検査でしたので陰性は確かですので病院に行ってください」と、ここでSが電話を引き取り、どんな病院(内科?皮膚科?アレルギー等)がいいのかのアドバイスを引き出そうとした。結局のところ「新聞で当番病院を調べて総合病院的なとこを見つけてください」でした。

新聞をひらく。一番近いところの市民病院が当番病院になっている。Sが電話する。初めてですか、と聞かれたのだろう。「ずーっと前、ハチに刺されていったことがある」と答えてる。昨日受けたPCR検査のことも伝えて、症状は?ということで、Sは受話器をH栄に渡した。(スズメバチに刺されたのは18年くらい前だよ、あんときは治療はなんもしなかったけどお金だけ取られた。)渡されてからH栄は30分間受話器を持ったまま待たされることになった。医師との直接通話でなかったため、症状を聞いては医師に伝えに行って、答えを聞くということが何回も繰り返されそのたびにながーく待たされたからだ。結局、整形外科の医師しかいないから診られないと体よく来院を断られてしまいました。

では、どこに行けばいいか?また新聞をひろげたSは城北病院が当番医院であるのを見つけた。電話して同じことを告げたら「すぐ来てください」と嬉しい言葉。
振り替えってみれば、この日が一番、目が開いてなかった日でした。病院が工事中で駐車場から城北診療所の玄関までの道のりが長かった。先を歩くSを目で追いかけるのがついていけず、H栄の歩みもおぼつかなく、あれS、どこ行った?と、顔をあげて細いスキマからSをさがすことになった。

待合室は個室をあてがわれたけれど、診療はきっちりしてくれた。舌の奥まで見て、聴診器も当ててくれた。(通常なら当たり前のことだが患者に触れてくれた。)
「ダニにかまれたかも」の訴えもきき、Sの憶測も伝えてみた。血液検査もしてたどり着いた病名を教えてくれた。”タンドク”何の毒だって?「漢字はこう書きます」とディスプレイをこちらに向けた。”丹毒”のことを先生は説明してくれ、なんか菌がついたってことはおぼろ気にわかった。帰ってから調べたのを記しますね。

丹毒;溶血性連鎖球菌による皮膚のびまん性炎症・・・・高熱も伴い、患部の皮膚は赤色を呈して腫れ広がり、灼熱、疼痛を訴える。

後日、S、H栄のほどんど全ての知人がこの溶連菌の意味を知っており
二人の情報弱者ぶりがあぶりだされたのでした。H栄症状は抗生物質を2週間飲み、赤く膨らんだ顔は徐々に元に戻っていきました。バイトの方は、Sが城北病院の帰り道に職場に寄り、ちょうどチーフがいたのでH栄のひどい顔をみせ、治るまで時間がかかること知ってもらった。郵便局にとっても、H栄がコロナでなかったことはよかったです。

注;Sに添削してもらったのでS的表現も混在していました。

コメント

このブログの人気の投稿

あたわりもの

before after vol.7 蜂の巣とコーキング

新年一月・二月の予定