試されている

今日は同僚から東京操法講座中止の知らせを聞いた。
いたしかたない、東京があんな感じではあまり行きたくないし、家族から出してもらえそうになかったので丁度良かったと思うことにする。

合同稽古会も無事終わり、ラジオ出演も終えて少しほっとした。
久しぶりのラジオ出演だったが、喋り足りない感じだ。
あれでは聞いている人にはさぞクエスチョンが増えたことだろう。
あと三回くらいシリーズ化して語れればなにか面白くなるかもしれない。

合同稽古会で感じた、こういう場がこれから必ず必要だと感じたこと。
明るさを元気さを図太く生きていく強さを、練り上げていくことをひしひしと感じた。
整体の思想と技術を学べる場が必要だと。

しかし、僕の感じたことと反比例するように世間は三密、接触拒否のライフスタイルに移行していく。それに異を唱え、生存とはそもそもなんだ?と考える人たちや免疫力がキーワードになっていくことも想像できる。そこで整体までたどり着く人たちはどれくらいいるだろうか?そんなことを考えているとますます不安にもなるが、こんな時に道場になりそうな物件を見つけてはどういう場所にしようか?との考えに癒されたりもする。
愉しい。


そして、コロナパンデミックの影響が少しずつ近づいてきてるようである。
僕自身、コロナも経済危機も怖いが、一番は人の変容が怖い、試されている。
連日のニュースに頭が痛くなる。国は頼れない。一人でなんとかするしかないようだ。

自分が整体を選び培ってきた生き方、思想や技術が試されているようだ。

コロナにかかろうが貧乏になろうが生きてくことには変わりない。
慰安技術を学ぶために整体を学んできたわけではない。
生き抜く技術として整体を学んできたわけだから。
それに変わりはない。

そういえば僕は今年は前厄年だったのだ。
この逆境をどう楽しむかが今問われているようだ。

長男は明日、学校に行ったらしばらく休校である。
さて、愉しく快適に暮らすためにどうしようか?
この時期、そんな身体を見つめてみようと思う。

先のことはわからない。未知だ
未知との共存。
稽古なのだ。


コメント

このブログの人気の投稿

あたわりもの

before after vol.7 蜂の巣とコーキング

新年一月・二月の予定