偉い人は人知れず

今日、会員の書道の先生が来られた。
最近の近況報告から人の生き死にの話から、自分の身体に責任を持つという話をしたときにこんな話をして下さった。

聞いた話では、書道教室に来た子供達が「先生これ持って」と使った筆を洗ってほしいと渡してくるそうだ。
「何故、先生が持たなきゃ行けないの?」と理由を訊ねると、洗った事もないし、学校でも家でも母親から汚くなるから駄目だと止められるそうだ。
何故そういうことになるのかと、小学校の校長先生に直談判しに行き、丁寧に「自分で使ったものは自分で始末をつけるのが責任の在り方ではないか?」と改善点を述べても、先生方にも母親達に説明しても聞く耳を持ってもらえなかったらしい。

洗い場も台所も汚すからの一点張りで、教えてもだめだからと聞いて貰えなかったそうだ。

それでも子供達に優しく丁寧に何回も説明していくと皆わかってくれて変わっていくらしいから安心だが、子供達が経験を奪われているという事に呆れ憤慨しそうになった。教育は子供達をどうしたいんだろうか?

身体に責任を持つ、という事は生活に人生に関わり合いに責任を持つ事だ。全力で生きて全力で死を迎える。死して成仏には身体がない。生きて成仏には身体がある。
全生思想が整体協会の根幹だが、それを支える技術の一つ一つが思想である、整体は言行一致である。と師匠が仰っていた。

思想だけでは宗教・哲学。技術だけでは科学という事だろうと思っている。

そんな話をしたら彼女はこんな話を思い出し話して下さったようだ。

書を教える事は自分に向き合う事ですから、身体に責任を持つ、自分自身と向き合う事だと。

指導者とはこういう方を言うのだな、と感慨深く、なんだか自分の想いも再確認出来るような出来事であった。

しかし、自分で校長先生に直談判しに行かれたり、母親達に色々と助言されたりと字を教えているだけではない。
この方は実はとっても凄い偉い方なんじゃないだろうか?なんで俺のところなんか来てるんだろう?不思議だ。

只々、ご縁有り難く。



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