どうしていこうか?

今までの自分の稽古はどちらかというと、操法をどう受けていくか?を
主要な問題として扱って来たらしく、言うなればどう集注していくか?集中とは何か?
感応・同調の確認が主体だったのだ。
教授資格があたわり、指導者共有の稽古方法の実践や報告書を目にすることができ、それが顕になった。

それと共に身体教育研究所の稽古法どう組み立てて行くか?
それには当然、自分ができていないといけないわけで、整理手付かずの問題が山ほど在ることに気が付いたのだった。

今までも自分自身に向き合い、身体を理解、経験してきたつもりだったのだが、全く理解できていなかったことを思い知らされてしまった。
自分の身体に対するイメージを更新してきただけで、実際に触れてはいなかった。

稽古の当事者だと思っていたし、尊敬する師と先輩方に囲まれ、気持ちは身体教育研究所の一員だと思っていたが、まだまだお客さんだったわけだ。

自分に対しての門外漢だった。という言葉が一番しっくりくるかも。

指導者の皆さん、よくぞあれだけ稽古方法を生み出されるものだと感心してしまう。
そして、語る言葉の深みから見えてくる背景や年季に、うんうんともっと聞いていたい。
色々、とご経験されての今なのだな、と思ったりもする。


しかし、まずそこから。
自分が知ったかぶりしていたところから稽古を組み立てる事としよう。
日常の中で気づいたことや疑問に思う事を稽古・身体を通して実証していくのだ。
そう思うとなんだか楽しくなってきた。

幸いにも先輩方が開拓してきた稽古の種はたくさん在ることだしね。

あー報告書も書かなきゃいけない。
それはちょっと憂鬱だなあ。


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