匂い

匂いと臭い

昔から芳香剤や科学香料の臭いがどちらかというと苦手であるらしい。
免疫がない。

なんだか鼻について、奥がキューっとなり頭が痛くなってくるようだ。

好きな匂いもあるのだろうが、どれをとっても無難な匂いという感想を持つことが多い。
そういえば妻や知り合いや昔の仕事仲間ではアロマオイルを使う人もいたので、よく実験台にされたが、頭が痛くなったことはない。

匂いによって感覚が違うという事の面白さはアロマが入り口であったかも知れない。
お香の匂いもまた佳い。

白檀や沈香なんかはよく使うがやはり日本製が佳い。アジア雑貨で売られている白檀なんかは少しきつい。臭いがきつすぎる。そうすると頭が痛くなるのだ。
体調が悪くなるのは大抵キツイ臭いだ。どれだけいい匂いに作って合っても駄目なものは駄目だ。やはり自然派なものが馴染みがいいらしい。

科学的過ぎるものは頭が痛くなることを身体で知った。
そうやって育ってきた。

僕の家は昔から自然派指向だったので自ずとそうなったのだろう。
妻と結婚してからはだいぶ拘らなくなった。
食べ物も洗剤も市販のものを使うようになったし、だいぶ市販のものが自然派よりになってきていることもあり、体力もついてきたので昔ほど体調がおかしくならないというのもある。

だが柔軟剤はどうも駄目らしい。
というのも僕が月末に京都に三日間出張の時は妻と子ども達は実家に帰る。
そして帰って来ると大抵咳が止まらない。

そのうちにその咳がこちらにまで回る。妻は毎回風邪を引いたと言うが、このむせ返すような咳の仕方は何度か経験した喘息に近いように思う。

そして、子ども達の衣服から臭う独特なフワッとした匂い。

すぐに洗剤か柔軟剤じゃないかと思い、調べてみると妻の実家の柔軟剤と我が家でセーターやニットなどを洗う時に使っている柔軟剤が同じであったので、子ども達と僕の喘息のような咳は、この柔軟剤から来ていると思う事と、これの使用を止めてもらうこと。
洗剤や柔軟剤の中にはマイクロ・プラスチックで匂い付けしていること、それが粒子となって呼吸器にたまる事を説明し、この喘息のような咳は身体の解毒反応だと言うことを妻に伝えて、匂いのしない無添加の洗剤だけを使用することに変えてもらったら、すぐに咳は治まった。

何て事はない。
今まで風邪だと思ってたのはただ柔軟剤等の科学香料がが合わなかったのだ。

ハウスダストや科学建材を使っての家で喘息の子が多いというのも同じ理由だろう。
毒を吐き出したがっている。

要するにどれだけ良いものに似せても合わないものは合わない。
その時の身体には馴染みが生まれないのだ。

調和しようとせず解毒しようとしているのだ。
しかし、この問題は科学だからダメ、自然だからいいという話でもない。
自然界にも毒はある。科学製品を取り入れることで排毒が進む場合、いわゆる同種療法的な事だってあるのだ。
科学的なものが身体に馴染む場合だってある。その時その時の摘、不適があるのだと思う。

今、急速に増えているのは科学アレルギーの問題、無理ないだろう。
これは一種の免疫過剰問題。
排泄過剰、調和不足とも言えるが、毒に対する耐性が育っていないため、胸線が過剰防衛に出る。思春期の子ども達に多く出るのは呼吸器形成の時期に多い。

いずれにしろ、よっぽどの事がない限り、呼吸器が健全に育てばちゃんと経過していく。

しかし、自然界に戻らない、戻りがたい先ほどのマイクロ・プラスチック等に代表されるようなものや、毒性の高い農薬や、一世代しか育たない種子など、果ては原子力の問題まで、自然から逸脱して科学的文明を作り出してきたわけだが、これだけ身体に馴染まないものを大量に作り出してきた我々は一体、どこへ向かって行こうというのか?子ども達にこれらの問題がツケとして出るのは何か変だ。

土に還らないものは作り出すべきではない。

今や土に還らないものに人間の身体もリストアップされる時代となってしまった。身体の中の残留物質に防腐剤にプラスチック。
火葬場の臭いに耐えられない人も多いと聞く。

やはり馴染のある匂いと言えば野花や水や風や火の燃える匂いや墨を擦る匂い。
自然界の匂いが佳い。

出来ればそういうものに囲まれて暮らしたいものだ。



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