二つの線

人それぞれに動線がある
その人の描く・描いた軌跡
沖縄で古武術をちょっとかじっていた頃
入門を許された理由を師匠が話してくださった事があった
ある時、稽古をしようと師匠の自宅兼道場を訪れた
師匠がおみえにならないので、庭仕事でもされているのだろうと部屋の前で一礼して,
道着に着替えて待っていようと更衣室に向かった。

なんとなく気配を感じたが、
部屋の前で何も考えずにドアを静かに開けると師匠がパソコンに向かい、こちらに背中を向けて座っていた

その背中にただならぬ気配を感じ、背中が怒っているように思ったので、
「先生、遠藤です。失礼しました。」と言い静かにドアを締めようとすると師匠がくるっと後ろを向いて
「あーそのまま、遠藤はなかなか勘がいいね。もう少しで投げるところだったさ」と手のなかにはサイが握られていた。

ぞーっとしたのを今でも覚えている

何でも武を志すものはそういう機転や瞬時の状況判断が大事らしい
その能力の見極めを短刀取りや弟子との関わり方を見て、育てて見ようと思ってくださったらしいのだ
それに一番の決定打は人の動線の邪魔になっていないこと
かといって自分に動線がないのもダメ
動線は軸芯から発する、という事だった

なんだか変わったことを言う武術の師匠だなぁと、そのときは半分わかったようなわからないような感じだったが先輩との相対稽古を通して身に知ることなった

あいてが仕掛けてくるとき、なんというか気配が束になって一つの線になり向かってくる
こちら攻撃を仕掛けようとするとさっと気配を読まれてよけられてしまう。
何故、よけられるのか?と師匠に尋ねると気配が線となって現れるので、その線の掛からない方によけるのだ、と教えられた

ともかく、そういう風なやり取りがあることを教えられたし、そういう風に見られていたのか?と後から思うと冷や汗が出てくる連続だった


簡単に入門を許された訳ではなかったらしい
いやはや何も考えてないというのは時に怖いもんだ

そういった体験が僕には多いのかもしれない
小・中学生の時もなんとなくこちらに
行きたくない
胸がつまるという瞬間があって、なんとかしないと大抵良くない事が起こるのだ
道を歩いていても、なんだかこちらには行きたくない方向があって、押し殺してそちらに向かうと大概ヤンキーがたむろしていて、絡まれたことが何度もある
お陰で僕の逃げ足は速くなったのだった

そういう事を繰り返し体験し、自ずと身体が向かない方を選択しなくなっていった
行きたいほうには必ず線が現れる
風が吹く

あれよあれよと沖縄に行く事になり、気付いたら三ヶ月位浜辺を転々としながらテント生活を送っていたことがあるのも、今から思えばこの線が出ていたのかもしれない
武術の師匠とであったのもこの頃
整体の稽古も始めたのもこの頃

ただ、こちらの線は目に見えない線
だけれども確かに力強くこちらを引っ張っていく線
動線は導線
自らが動くのではなく、自ずと動く
導かれるように動きが出る
その人その人に導かれるように線が現れるのだ

動線と導線
二つの線
こちらから出ていく目に見える線とこちらを引っ張っていく目に見えない二つの線

どの人にも動線と導線の二つがある

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