躙り

”躙り”という動作がある。にじりと読む。

騎座になり手は拳、親指の第一関節を曲げて畳に向け爪を隠す。
そのまま腰を使い、前にすすっ、すすっと進んでいく。

茶室のはいり方と言えば分かる人もいるかもしれない。

茶室の入口の事を躙り口と言い、身を縮めて先ほどの動作ですすっと入って亭主を待つ。
茶道をやっている人はもっと詳しくわかっていることでしょう。

この¨にじり¨という動作は整体の稽古でも行うので、そちらで学ぶ事ができた。
葬式や静かにする場所で、にじりで動いている人をたまに見かける。場に対する配慮を感じ取れる動き方だ。

椅子生活や和室がなくなった現代においては、茶道でも習わないとなかなか見かけることはなくなってしまったんじゃないだろうか?
最初に見たとき懐かしいと感じたことを覚えている。
何故、初めて見たのに懐かしいと感じたのかわからない。


¨にじり¨は各流派でもやり方が違う。

大きく分けると武士の茶道と町民の茶道で所作がまったく違う。
先ほどのやり方は武家の所作であるらしい。

人によっては堅苦しく感じる武家より簡単な町民派がいいと言う人もいるが断然、武家茶道の方が面白い。

先ほどの親指を隠す動作は、武士は刀を抜くとき、帯刀しているときは親指は常に鯉口を切っている。つまり左手の親指を束に立て、いつでも右手が刀を抜ける様に準備をしているのだ。
その親指を曲げ畳に向ける事で戦闘の意思はないと身体で意思表示しているのが、先ほどの武家にじりの意味なのだと、ある茶道の先生に伺ったことがある。

話は尚も続いた。

茶の湯は大衆、町民から生まれた文化だ。それがどうして武士階級まで行き届いたのだろうか?そこでの人と人との心のやり方に感銘を受けたに違いない。

そこで生まれた佳きものを共有しようと、武家の正式な座り型が胡座から正座になり、刀をおいて、その空間での移動手段が親指を隠す”にじり”になったのだと説明してくださった。
面白いと思ったのはその時間、空間での所作、礼儀作法、形式を生み出したのが亭主側だけでなく、客側もまた関わっていると言うことである。戦闘を生業とする侍集団達は、利休に代表される茶人達のもてなしに何を見たのだろうか?

何を感じ取り、その所作、形式を改め、武家茶道という流派を産み出していったのだろう。戦闘を回避する手段、接待としての茶の湯としてだけでは無さそうだ。

茶を習う事はもてなしの仕方を学ぶ場でもあるだろうが、客としての在り方とはなにかを学ぶ場でもあるのだ。

どういう風にもてなせば相手は喜ぶかという亭主側と、どういう風に関われば亭主の気持ちに応えれるかの客側の立場の相互通行、言わば立ち合い。
その二つの流れが出会う場が茶室であり、結果、主客同一になるのだと説明してくださった。ともに参加者になるのだ。

なるほど確かに茶道の言葉は、全部知ってる訳じゃあないが、片側から語られる事はなく、両側から語られる言葉ばかりだと思わされる。


いい話をたくさん聞かせてくださった。


ところで金沢にはいい茶室がたくさんある。

今度、見学がてらそこで躙りの稽古でもしてきましょうかね。
その前にお茶の師匠探した方がいいかも。


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