張り合い

命の張り合いというと少し暑苦しく聞こえるかも知れない。

一生懸命とか命をかけてやる、とか捨て身とか色々な言い方はあれど本気を出す、という事だろう。本当に命を捨ててはいけないが、人間には追い込まれると発動する力が備わっている。ほとんどの人がそんなことを知らずに死を迎えていく。

戦時中、いつも嫁に捕まってしか歩けないヨボヨボの姑が東京大空襲の際、風呂敷に仏壇担いで誰よりも早く逃げ回っていた話を聞いたことがある。
俗にいう火事場のくそ力とはこの事だろう。
この手の話を集めるのは本当に楽しい。
以前、学生時代に読んだ、金子 郁容のボランティア―もうひとつの情報社会 (岩波新書) で人はヴァルネラブルな存在=対攻撃脆弱性つまり弱い存在である、だからこそ強くなれる余地がある。精神的逆境的強さを発動させるためにあえて、逆境に身を投じよなんてことが書いてあったような気がする。彼はこのことを言いたかったのかもしれない。



整体の勉強をはじめだした頃、野性味溢れるR氏の紹介で縁あって沖縄の古武術、本部御殿手の道場で体験させてもらう機会があった。
整体も武術も相対稽古で持って行うが、その本気と本気のぶつかり合いに心うたれ、自分のやりたかったことはこれだったのだと感動したことがあった。

整体はより深い生存の充実を求めてお互いを整え合う。武術は戦場で生き残るための方法論を学ぶ。相手の動きにつられて、自分の動きが出てくる。相手もまた同じ。それに合わせて高まってくる勢いというか働きが、一人で行う運動や体操では物足りなさを生じさせた。

どちらも誤魔化しは効かない世界だ。
中途半端なことをすれば、それが即、自分に返ってくる事を思い知らされる。
そのシンプルな世界観に惹かれた。

それから武術の方は師事していた方がなくなってしまったのと、整体の勉強が面白かったので遠のいてしまったが、大変勉強になって自分の一部となっている。ご縁を頂けたことに感謝している。


今にして思えばやりたいことが見つからず途方にくれていた十代の終わり、音楽の世界に
逃げ込み、二十代前半から、始めたバンド活動もこの張り合いを求めていたのだ。とんがりまくって、ヤクザまがいのおっさんや学生運動に興じたおじさまに絡まれたり、絡んだりしたのも、追い込まれた状況からの引き出される張り合いを求めていたのだろうと思う。自分の本気を学べる何かを。

様々なミュージシャンの観客とバンドの張り合い、ジャズやジャムバンドの即興性、演劇や映画の中での役者同士の掛け合いや、芸術家同士の掛け合いやコラボレーション。そういった様々な掛け合い、張り合い、感応から生まれてくる場に立ち合いたい、その現場に居合わせたいという事に心が動かされてきた。
マッサージ師から治療師になり整体師に変わっていったのもこの張り合いを求めたからだ。

その張り合いの場は様々なものを産み出す。
利休の茶の湯だってそうだろう。
茶人と武士の命の張り合いがおもてなしとして発動し、数寄屋造り、茶釜、茶碗茶筅といった茶道具職人が様々なものを作り出した。そのやり取りが文化を生み、産業を生み、経済を生み、哲学まで生み出した。
それも本気と本気のぶつかり合いが合ったからだ。より深い集注密度での感応性があったからだ。

そこから力が生まれてくる。
自分自身に追い込みをかけていく。
それが力の引き出しかただろうと思う。

未熟だから熟せる。
自己否定するから自己肯定が生まれる。

追い込みもかけられない。
追い込まれても直ぐに誰かがなんとかしてくれる、その環境や、人間関係はとても居心地のいいものだが、時として毒になる。
ずっと誰かになんとかしてもらってきた人間は自分の力にずっと気づけない。

私の変わりに医者が子供を取り出してくれる。
私の変わりに医者が治してくれる。
私の変わりに保育士が子供を育ててくれる。
そのうち私の変わりにロボットが人生を歩んでくれる事だろう。
私の世話をすべて人工知能に預ければいいのだ。

私の代わりなんかいるもんか。
私は私しかいない。
出し惜しみした人生なんか歩んでたまるか。
当事者性を失った人生には永遠に力なんてやってこないだろう。
人は張り合いを求めて生きている。

しかし、この張り合いという美談に日本人はとても弱い。
戦前は軍国主義、戦後は勤勉哲学に利用されたところを忘れてはならない。
日本人はそういった精神論やイデオロギーにとても弱い。

だからといって自分に都合のいいものだけを選択し、ゆるゆるに生きているのもかなりの問題だと思うのだが。

習ったことだけやっていては本当の張り合いは生まれない。
損か得かだけではなにも生まれてはこない。
本当の張り合いには”美”が備わるはずだ。





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