身体感応

精神感応というのがある。俗にいうテレパシーってやつだ。
SF小説なんかによく出てくる。
シンクロ(同調)という方がわかりやすいかもしれない。

ふと、誰かの事が気がかりになる。
すると、その本人がひょっこり現れたり、電話がかかって来たりする。
そんな経験は誰しもあるだろう。

ウィリアム・バロウズという人は幻覚剤、向精神薬を用いて感応の実験を繰り返し、集団で一つの飛行機を飛ばす、何て事を実験していたらしいが、人間の可能性についての研究は面白いが薬物に頼るところが面白くない。
ところで薬効の近代史は戦争の歴史とセットだ。

屈強な兵士を求め、筋力増強剤の開発、即効性のある鎮痛剤、気分を高揚させる向精神薬といった具合で、強化人間育成のために様々な薬が戦争のために開発された。

そのおおもとになったのはアフリカやアメリカの先住民の薬効の知識・メディスンマンやシャーマンと呼ばれる呪いし祈祷者たちの知識。
いわば彼らのシャーマニズムを徹底研究し、最大限の効果をあげるために開発されてきた歴史がある。

この時点で我らに馴染の深い、薬草・生薬・漢方とは方向性が違ってきている。
その方向性はオリンピックの祭典へと引き継がれている。その根底には治病よりも超人願望があるだろう。

戦争のもたらしたものはそれだけではない。
通信技術や戦地に兵士を大量輸送するための輸送機、その果てが核まで生み出した。

それらとスティーブ・ジョブズ等のアップルグーグルの登場やネットやSNS等の発展は地続きのものだろう。

それだけでなく医療や科学の発展も精神感応の世界を科学技術によって応用可能にしてきた近代合理精神の賜物だろう。禅の悟りの境地をマインドフルネスとして研究してきたり、ユングの集合意識を情報技術によって可能にしようとしてきた。

近代はこうやって発展してきたが、それ以前はどうだったのだろう。
物質世界の誕生によって人の精神性は隅に追いやられた。そして、それ以前の生活感・自然観、人間性を取り戻そうと様々なイデオロギーや運動が展開されてきた。

しかし、それは精神の探求をしてきたただけのことで、それだけでは人間の営みは語れない。はなから片手落ちだ。

それだけではアクセルだけでブレーキがないように思える。少々行きすぎのように思える。その価値観に行き詰まりを感じる。結局は石油と電気に依存して成り立っているからだ。


ところで話は戻って、身体感応なんて事は聞いたことがない。
それもそうだ。これは造語だ。
いや、整体用語かもしれない。
誰かがすでに言っている気もする。それを聞いて覚えていただけかもしれない。

およそ身体間関係に携わる人にはよくわかる経験だと思える。

カウンセリングしていたり、ボディーワーク・施術中にその人同じところが痛くなったり、調子が悪くなったりする。

僕も急に左膝に違和感感じるなーと思っていたら、次の予約の人が来て、左膝痛いの?と聞いたらビックリした顔して、そうなんです。
何て事は多々ある。

身体が感応しているのである。
日本語には「その人の身になって考える」とある。
英語表現では、こんな言葉は見当たらない。I Think about him/herだけだ。
身体は何も関係ないMindの関わるところだろうとされる。

マッサージ時代に新人教育係をを任されていたときに、新人達やベテラン勢があの人に施術したら疲れもらった。といってその人のせいにしている現場を何度となく目撃した。

その時は何とも思わなかったが、自分の技術がカイロプラクティックに変わり、治療業に切り替わったときに、その彼・彼女らの言っている経験が僕にも顕著になっていった。

そして理解した。
それは疲れをもらったのでなく、その人の疲れを取れなかっただけなのだ。

不整体のまま、相手とさよならしただけの事だったのだ。
相手の元気を引き出せず、自分の一方的な思いを相手にぶつけていただけだった。
それに気づいてからはいかに効率的な技を求めるよりも、まずは相手と完全に同調できる事に技術が切り替わっていった。
いや、それが技術の中心という事なのだ、と目から鱗の思いだった。
そして僕は師を見つけたのだった。
この身体感応の世界にいち早く気づき、技術・思想を体系化されているD先生に師事することにした。
予感は本物だった。
人間は無自覚にも身体感応の世界に生きている。
相手に花を贈るより、自分の中に花を見つける。
相手を観察するよりも、まずは自分を観察する。
相手を整えるよりも、同調した自分を整える。

先達たちの教えはそのことに満ちている。
かの名工、千代鶴是秀は鉄を打つ前に白装束に着替え禊を行う。そうやって自分の不純物を取り除かないと鉄の中の不純物を取り除かなけないという。
そうやって鉄をきたえあげるから名器ができるのだと言う話を聞いたことがある。

先ずは自分を整えよ、なのだ。




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